平安朝後期成立の歴史物語。文徳天皇の代から後一条天皇の代まで(850-1025)のことを,かなぶみで書いており,いわゆる鏡物(かがみもの)の第1作。作者不詳。近代以前に藤原為業,同能信,近代になっても,源経信,同俊明,同俊房らを作者に擬する諸説が出されたが,いずれも,これほどのものを書く能力をもつ人物はだれか,というところからの推測である。書中に,〈今年,万寿二年乙丑(きのとうし)とこそは申すめれ〉の文があり,作中人物の官位などもよく合っているので,久しく1025年(万寿2)成立と信じられていたが,ごく少数の点でくいちがいがあり,万寿2年は作者のフィクションの設定と見られるようになっている。しかし,成立年代推定はまちまちで,11世紀後半か12世紀前半と見る説が多い。また内容の出典考証から,《栄華物語》以後,《今昔物語集》以後というふうに,年代を限定する方法もとられている。写本には3巻本,6巻本,8巻本があるが,これは本文のちがいではなく,記事の少ない東松本,千葉本などと,増補されたらしい流布本の差のほうが重要だろう。
序文のなかで,この作品の内容は,雲林院(うりんいん)の菩提講で講師の登壇を待つ間に,そこで出会った老翁,190歳ばかりの大宅世継(おおやけのよつぎ)と180歳ばかりの夏山繁樹(なつやまのしげき)が,自分たちの歴代摂関・一の人についての見聞を語り,30歳ほどの青侍が口をはさんで質問し,会衆が耳をそばだてて聞いたもの,という趣向に仕組まれており,それが以後の鏡物共通の構造となった。《今鏡》《水鏡》《増鏡》など,みなそうなっている。この作品が別に《世継》《世継物語》《世継の翁が物語》と呼ばれたのも,このこととかかわっている。研究者は,これまで紀伝体で書かれているといってきたが,これは,はじめに文徳以降の歴代の天皇のことが,本紀風に代ごとに簡略に語られ,次に左大臣冬嗣・太政大臣良房から太政大臣道長までの一の人を,列伝風に語っているためで,作者の主眼はこの摂関列伝にある。先行の歴史物語《栄華物語》と時代的に重複部分の多いこの作品は,女性の書き手による後宮史に満足せず,男の眼で,摂関政治史を,裏面の抗争までふくめて生き生きと描こうとしたものであろう。摂関政治が頂点に達する道長の繁栄絶頂期の万寿2年現在で,作品を構想したのもそのためである。語り手の世継(世継の翁)らの異常な高齢は,実は摂関政治の歴史が経てきた年数であった。同一人の眼でその歴史を見つづけてきたとしたいための,虚構なのである。個々の摂関や大臣の伝は,エピソードでつづる形になっていておもしろい。説話的手法のかなぶみの歴史なのだが,その文章は平安後期のことばを縦横に駆使して,迫真的描写,活発な意見表明を可能にしている。男らしさの満ちた闊達な文章は,《伊勢物語》《源氏物語》と並んで,平安朝のかなぶみの各期の最高の到達と評価されている。
執筆者:益田 勝実
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平安後期の歴史物語。文徳(もんとく)天皇の850年(嘉祥3)から後一条(ごいちじょう)天皇の1025年(万寿2)まで、14代176年間の歴史を描いたもので、1025年を現在時として叙述しているが、これは藤原道長の栄華の絶頂で擱筆(かくひつ)しようとした作者の作為で、実際は1025年以後40、50年から90年の間の成立とみられる。作者は男性で、諸説あるが不明である。『大鏡』では歴史を叙述するにあたり、雲林院(うりんいん)の菩提講聴聞(ぼだいこうちょうもん)に参詣(さんけい)した大宅世継(おおやけのよつぎ)、夏山繁樹(なつやまのしげき)、若侍(わかざむらい)の3人を登場させ、歴史はこれら3人の座談、問答によって語り進められ、作者は純粋な聞き手として、それを傍らで観察しながら記録する趣向になっている。これは歴史の表裏明暗を多角的にとらえ、公正な歴史叙述の展開を意図したものである。その構成は、まず序があり、次に文徳天皇から後一条天皇までの14代の天皇について記した帝紀(ていき)、藤原冬嗣(ふゆつぐ)から道長までの摂関大臣の列伝(れつでん)、藤原氏の繁栄の跡を系譜的に総括した藤原氏の物語、最後に風流譚(たん)、神仙譚などを収めた昔物語が置かれていて、中国の『史記』などにみられる紀伝体(きでんたい)であるが、これは、人間の動きを凝視し追跡することによって歴史が顕現すると考えた作者が、人間を多角的、立体的に把握できる有効な方法として採用したものである。
このような歴史叙述の方法を用いて、政治世界に生きる男たちの織り成す凄絶(せいぜつ)なドラマを、瑣末(さまつ)的な説明や描写を切り捨てた簡潔な文体によって、生彩ある筆致で描いている。作者の透徹した歴史認識によって選択された事象は、多く説話を用いて語られているが、それらの説話は、作者の豊かな想像力と創意によって形成され、変容されたもので、虚構や事実の錯誤や誇張による歪曲(わいきょく)などもある。しかし、それらは、事実性を拒絶した虚妄の話ではなく、事実を包摂した虚構の世界であり、それによって、善悪、正邪、美醜などのさまざまな矛盾をもったものとして人間を描き、歴史の本質に迫ることができた。『大鏡』は歴史物語のなかでも傑出した作品で、その問答、座談形式は後代の歴史物語に大きな影響を与え、確かな史眼と鋭い批評精神は『愚管抄(ぐかんしょう)』などに継承されていった。
現存本は、写本として建久(けんきゅう)本、千葉本、池田本(いずれも欠けている巻のある零本(れいほん)。天理図書館蔵)、東松了枩(りょうしょう)氏蔵本、京大付属図書館蔵平松本、書陵部蔵桂宮(かつらのみや)本、蓬左(ほうさ)文庫本などがあり、刊本として古活字本、整版本などがある。
[竹鼻 績]
『保坂弘司著『大鏡新考』全2冊(1974・学燈社)』▽『山岸徳平・鈴木一雄編『鑑賞日本古典文学 大鏡・増鏡』(1976・角川書店)』▽『橘健二校注『日本古典文学全集20 大鏡』(1974・小学館)』
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「世継(よつぎ)」「世継物語」とも。平安時代の歴史物語。作者・成立年代は諸説あり未詳だが,作者が男性であることは確実。190歳の大宅世継(おおやけのよつぎ)と180歳の夏山繁樹(しげき)という2人の老人が歴史を語り,さらに口をはさむ若侍を配するという形式をとる。語りの場は1025年(万寿2)に設定。紀伝体で,序・天皇紀・大臣列伝・藤原氏物語・雑々物語からなる。天皇は文徳から後一条まで,摂関は藤原冬嗣から道長までを対象とし,摂関時代の始まりからその頂点までを扱う。先行の「栄花物語」が女性作者による道長賛美の歴史であるのに対し,政権争いにからむ生き生きとした人間像を描く。いわゆる鏡物の最初で,後代に与えた影響は大きい。「日本古典文学全集」「日本古典文学大系」所収。
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…初期のドミニコ会派修道会に入り,1229年以降フランスのボーベおよびパリにおいて,著作活動を行った。中世最大の百科事典とされる《大鏡Speculum majus》を,1247年から59年の間に編纂した。この著作は,全80巻,約1万項目にのぼる百科事典であり,みずから閲読しえた450人の著者,2000の文献からの引用を主体としている。…
…百科事典はその手続のための補助材であり,またそれ自身が引用・解釈の大集成となっていった。バンサン・ド・ボーベ《大鏡Speculum majus》(13世紀中葉)はこの時代の代表例である。〈自然〉〈理論〉〈歴史〉の3部,さらに死後〈道徳〉が追補されて全4部構成となり,全体として膨大な編纂物となった。…
…平安時代後期に成立した歴史物語《大鏡》に登場する架空の人物で,歴史の語り手。万寿2年(1025)5月,雲林院(うりんいん)の菩提講に集まった人々は,講師の登壇を待つ間の雑談に興じていたが,その中にかつて宇多天皇の母后班子女王に仕え,当年190歳になる大宅世継(おおやけのよつぎ)という翁があり,藤原忠平の小舎人童であったというこれまた百数十歳の夏山繁樹とその妻を相手に,昔の思い出を語り始めた。…
※「大鏡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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