大手電力会社に電気を卸売りする電力会社。卸市場を通じて、新規参入の電力会社にも販売している。1952年、戦後復興の電力需要を賄うための国策企業として設立された。60年代に北海道や九州の国内炭を利用するため、磯子火力(横浜市)などの石炭火力発電所を建設。70年代の石油危機を経て、海外炭を燃料とする大規模火力を整備した。風力発電にも力を入れており、北海道や秋田などに24カ所の設備がある。
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電気を生産する発電所を建設すること。主要な発電所には、水力発電所や火力発電所、原子力発電所などがある。このうち火力発電所は、使用する燃料によって、石炭火力発電所、石油火力発電所、天然ガス火力発電所などに分かれる。
最近では、太陽光・風力・地熱・バイオマスなどの再生可能エネルギーによる発電が急速に拡大している。水力発電も、再生可能エネルギー発電の一種だとみなすことができる。
長い間、電源開発を中心的に担ってきたのは、専業の電気事業者である。しかし、2011年(平成23)3月11日の東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて電力システム改革が進んだため、電源開発の門戸は、電気事業者以外にも広く開かれるようになった。
[橘川武郎 2022年10月20日]
日本最初の電力会社として1883年(明治16)に設立された東京電燈(でんとう)は、1887年には南茅場(かやば)町火力発電所の運転を開始し、一般向けの電気供給を始めた。世界最初の一般供給用発電所がイギリスのロンドンで運転を開始したのは1882年のことであるから、南茅場町火力発電所は、それからわずか5年だけ遅れて運転を開始したことになる。
事業開始から1904年(明治37)の日露戦争までの時期には、東京電燈、名古屋電燈、大阪電燈などの主要な電力会社は、都心近くに建設した小規模な石炭火力発電所から、おもに都市内の電灯需要向けに電気を供給するという事業形態をとっていた。しかし、日露戦争前後の時期になると、二つの面で状況が変化した。一つは、1900年代前半にアメリカで、5万ボルト以上の高圧による長距離送電が実現したことである。いま一つは、日露戦争勃発を契機に火力発電用燃料となる石炭価格が急騰したことである。
このような状況変化を受けて東京電燈は、山梨県桂川(かつらがわ)水系に出力1万5000キロワットの駒橋(こまはし)発電所を建設し、そこから5万5000ボルトの電圧で東京へ向け76キロメートルの距離を送電するという事業計画を策定した。東京電燈の駒橋発電所は、1907年12月に竣工(しゅんこう)した。長距離高圧送電技術を導入した東京電燈駒橋発電所の運転開始は、日本の電源構成が火主水従から水主火従へ転換する契機となった。全国で中・長距離の高圧送電を利用した水力開発が活発化し、1912年(大正1)には、水力発電所の出力が火力発電所の出力を凌駕(りょうが)するに至った。日本の電力業は、その後、1960年代の初頭まで継続する「水主火従の時代」を迎えることになった。
第二次世界大戦後の1951年(昭和26)に実施された電気事業再編成によって発足した民間9電力会社(北海道・東北・東京・中部・北陸・関西・中国・四国・九州電力)は、電力不足を解消するため、積極的に電源開発に取り組んだ。1973年の石油危機までの時期に日本で電源開発が活発に展開される過程では、電源構成面で二つの大きな変化が生じた。1960年代初頭における水主火従から火主水従への転換と、1960年代なかばにおける原子力発電の登場が、それである。
まず、電源構成の火主水従化についてみれば、火力が水力を凌駕したのは、発電設備出力では、9電力会社で1961年度、日本全体で1962年度のことである。また、発電電力量では、9電力会社で1960年度、日本全体で1962年度である。これは、第二次世界大戦前後にアメリカで火力発電の技術が進歩し、コストが低下したことを反映したものであった。
高度経済成長期において火力開発が活発化したのは、火力発電の原価が低下したからであるが、その要因は、高能率化や大容量化だけではなく、燃料費の低減にも求めることができる。燃料費を低減させるうえで大きな意味をもったのは、火力発電所用燃料が石炭から石油へ転換したことであった。9電力会社全体の汽力発電用燃料の発熱量に占める比率をみると、1964年度に石油(重油+原油)が初めて石炭を上回り、以後油主炭従が定着するようになった
高度成長期に日本の電源構成面で生じた、火主水従化と並ぶもう一つの大きな変化は、原子力発電の事業化であった。1963年の原研(日本原子力研究所)動力炉試験炉における原子力発電成功に続いて、1966年には日本原子力発電(株)(1957年設立)の東海発電所が、日本で初めて商業ベースでの原子力発電を開始した。
1970年代なかばに石油危機が起こると、日本の経済成長率は低下し、電力需要の伸びも鈍化するようになった。これに伴い電源開発のペースは、スローダウンするに至った。
高度成長末期に日本の電源構成は石油火力に大きく依存するようになっていたが、石油危機による原油価格の高騰によって、電源構成の「脱石油化」が強く求められるようになった。石油危機後、石油火力に代わって日本の電源開発の中心となったのは、原子力、LNG(液化天然ガス)火力、海外炭火力、の三者であった。これらのうち、LNG火力は1970年に運転を開始した東京電力の南横浜発電所(神奈川県)を、本格的な海外炭火力は1981年に運転を開始した電源開発(株)の松島火力発電所(長崎県)を、それぞれ嚆矢(こうし)とする。
[橘川武郎 2022年10月20日]
2011年に発生した東日本大震災と、それに伴う東京電力福島第一原子力発電所事故は、日本の電源開発のあり方を大きく変える意味合いをもった。「脱原発依存」の方向性が確認され、電源構成における原子力発電の比率は、低下することになった。
それとは対照的に、再生可能エネルギーを使った発電の規模が拡大されるに至った。再生可能エネルギーには、太陽光、風力、地熱、水力、バイオマスなどが含まれる。水力については、すでに大規模な発電所の建設がほぼ完了しているため、小水力の開発が重要な意味をもつ。2012年には、再生可能エネルギーによる発電を拡充するための方策として、固定価格買取制度もスタートした。
再生可能エネルギーを利用した発電のなかで拡大が著しいのは、太陽光発電と風力発電である。これらには、稼働率が低い、出力変動が激しい、コストが高い、などの問題がある。ただし、太陽光発電についても風力発電についても、技術革新の進行によりコストが低下しつつあり、今後の普及に期待が高まっている。太陽光発電や風力発電の普及のためには、送変電設備の増強が最大の課題となる。一方、地熱・小水力・バイオマスによる発電には、稼働率や出力変動の問題がない。地熱発電や小水力発電の拡充のためにはさまざまな規制の緩和が、バイオマス発電の拡充のためには物流コストの削減が、それぞれ大きな課題となる。なお、地熱発電の普及には、温泉業者との利害調整も、必要不可欠な前提条件となる。
[橘川武郎 2022年10月20日]
『栗原東洋編『現代日本産業発達史Ⅲ 電力』(1964・交詢社)』▽『松永安左エ門著『電力再編成の憶い出』(1976・電力新報社)』▽『橘川武郎著『日本電力業発展のダイナミズム』(2004・名古屋大学出版会)』▽『通商産業政策史編纂委員会編、橘川武郎著『通商産業政策史1980-2000 第10巻 資源エネルギー政策』(2011・経済産業調査会)』▽『橘川武郎著『エネルギー・シフト――再生可能エネルギー主力電源化への道』(2020・白桃書房)』▽『橘川武郎著『電力改革――エネルギー政策の歴史的大転換』(講談社現代新書)』▽『経済産業省編『エネルギー白書』各年版(日経印刷)』▽『経済産業省資源エネルギー庁編『電気事業便覧』各年版(経済産業調査会)』
電力卸事業を基盤とする電力会社。1952年(昭和27)電源開発促進法(昭和27年法律第283号)により政府関係特殊会社として創立。第二次世界大戦後の経済復興の基盤となる電源開発を強力に進めるために設立され、当初は佐久間(静岡県)、奥只見(おくただみ)(福島県)など開発困難な地点で一連の大規模水力発電所を建設。民間電力会社の電源開発が軌道にのり電力需給が好転したのちは、電力の広域運営に積極的に参加し、本州・四国間の送電線の敷設や、東日本と西日本を連係する周波数変換所の建設などにあたった。1973年のオイル・ショック後は新エネルギーの開発を目ざすサンシャイン計画に参画し、太陽熱発電や地熱発電に取り組んだ。1997年(平成9)閣議で民営化が決定。2003年に電源開発促進法が廃止され、電源開発(株)は民営化された。2002年から、コミュニケーションネームとして「J-POWER」という呼称を使用している。資本金1524億円(2010)、売上高6360億円(2010。連結)。橘湾(たちばなわん)火力、新豊根(しんとよね)(水力)など、全国各地に多数の発電所をもつ。
[橘川武郎]
『30年史編纂委員会編『電発30年史』(1984・電源開発株式会社)』▽『橘川武郎著『日本電力業発展のダイナミズム』(2004・名古屋大学出版会)』
発電のために必要な大規模な施設(水力発電所や火力発電所,原子力発電所)を建設すること。日本の電源開発の歴史は100年になるが,当初の内容は開発というにはほど遠いものであった。1887年に東京電灯会社は最初の発電を行ったが,それは30馬力のボイラーと25kWの直流発電機で発電し,210Vの電圧で1~2kmほどの範囲に送電するものであった。1880年代末から90年代末にかけて電灯会社が全国主要都市に設立されたが,それらは電灯需要に応じた都市における小規模火力,市内送配電という共通の内容をもっていた。こうした電源開発のあり方を変化させたのは,欧米における発送電技術の進歩と日本資本主義の発展である。1880年代から綿工業の発展が始まり,鉱山業も輸出産業として発展した。これらの産業は日清戦争を契機にいっそう急速に発展し,電力の産業用需要をつくりだした。90年代になると交流発電への切替えが進み,送電距離も延長されたが,こうした変化にとって重要なのは水力発電が開始されたことである。ただ19世紀末の水力発電規模はまだ小さく,飛躍的な発展は日露戦争,第1次世界大戦を経てであった。工業の急成長,工業地帯の形成に伴う潜在的電力需要の集中が進む一方,戦時期には石炭価格が暴騰して火力発電が不利になった。そうした条件下で,ようやく電源開発というにふさわしい水力開発が本格的に開始されたが,その背景として重要なのは電力行政の変化である。従来,危険防止を目的とした保安・監督行政であったものが,電気事業の公共性を認めたうえで,公益事業としての発展を助長する方向に転じた。その象徴が1911年の(旧)電気事業法の制定である。
水力発電の電源立地は大きな河川に沿って山間部に深く入り込み,電力の消費地である都市から遠隔化した。発電方式は水路式が主となり,その規模は数万kWになると同時に,送電電圧は15万4000Vの採用が可能となり,送電距離も数百kmになった。こうした変化はとくに1920年代に目覚ましかったが,大規模水力開発による発電コストの低下と高圧送電による送電ロスの低減等は,産業用・電灯用需要を掘り起こす基礎的条件となった。そしてこうした水力開発は火力開発を要請した。すなわち大規模水力開発はかつての渇水時流量を基準とするものから平水時,豊水時基準になったからで,渇水期に大規模な補給用火力発電を必要とした。
補給用大規模火力開発は電源立地を変え,消費地に近接し燃料である石炭の入手の便利な地点が選ばれた。大消費地に隣接した臨海立地となり,これは後の第2次大戦後の高度経済成長期における大規模石油火力にも通ずるものである。こうした電源開発のあり方は,そのテンポを別にすれば,戦後の9電力体制への再編成期まで基本的には変わらなかった。
戦後,とくに高度経済成長期には大きな変化が生じた。第1に電源開発の計画化が進んだことである。第2に電源開発計画の策定を通じて,1956年には電源開発の主力を大容量火力に置く方向が明確になった。他方,1952年に設立された政府出資の電源開発会社が水力開発の主体となり,これが大規模貯水池式水力発電所の建設を担当することになった。そして第3に,石油火力は国土開発計画の一環として続々と形成された石油化学コンビナートの一員として包摂されたものが多かった。石油火力は急速に大容量化し,70年代には100万kW級の発電所も登場したが,同時に発電汽機の高温・高圧化を進め,合理化を達成した。
しかし,大都市に隣接した大規模火力発電所は大気汚染等の公害源となり,1960年代半ば以降電源立地の転換を迫られた。再び電源立地は遠隔化したのである。しかも,技術的に未解決の問題があり危険性の高い原子力発電が本格化したのも60年代後半であった。電源立地はいわゆる過疎地域へと展開したのである。しかし電源立地に選定された地域の住民が公害や原子力の危険に不安を感じるのは過疎地でも変わらないし,発電所の単独立地は雇用効果すらない。60年代末以降,住民や地方自治体の電源立地反対が強まり,電源開発は停滞した。こうした事態に対応すべく登場したのが,74年制定の電源三法である。これは(1)電源開発促進税法に基づいて電力会社から税金をとり,その資金を(2)電源開発促進対策特別会計法に基づいて特別会計にプールし,(3)発電用施設周辺地域整備法によってその資金を関係地方自治体に交付し,福祉施設等を建設させるという,いわば飴を与える政策である。しかし,これによっても問題は解決していない。なお73年の石油危機以降,原子力発電とともに小規模水力開発の見直しや地熱発電等のいわゆるローカル・エネルギー開発が進められているが,大規模火力を主に原子力でこれを補完するという電源開発の体制は基本的には変化していない。
→火力発電 →原子力発電 →水力発電 →電気事業 →発電
執筆者:橋本 寿朗
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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