クラーク,Andrew(読み)くらーく

世界大百科事典(旧版)内のクラーク,Andrewの言及

【パンコール協約】より

…19世紀後半マラヤにはいくつもの小王国が分立し,これにスズ鉱山の中国人労働者の間に組織されたいくつかの秘密結社の間の闘争がからんで内紛が絶えなかった。それまで現地不介入の方針を堅持していたイギリスは,1873年9月に積極的に介入する方針に転換し,クラークAndrew Clarke(1824‐1902)を海峡植民地知事に任命した。クラークは74年1月パンコールPangkor島沖に停泊した砲艦プルトー号に中国人秘密結社の指導者たちとペラ王国の有力者たちを招き,秘密結社の支配区域を定めた。…

【マレーシア】より

…またマレー人の領主はスズ鉱からの利権収入を手にして国王の権威に挑戦するようになり,大きな混乱が生じた。イギリスは初め不介入政策をとっていたが,この混乱につけこんでシャムやフランス,ドイツがマラヤに進出することを恐れ,海峡植民地知事A.クラークが1874年に王国の有力者や中国人秘密結社の頭目たちとの間でパンコール協約を結び,ペラ王国の内政に介入した。これによって国王のもとにはイギリス人理事官が派遣され,彼が国王の名において徴税権と軍事・警察権を掌握し,王国の中央集権化を進めた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」