《文会筆録》(読み)ぶんかいひつろく

世界大百科事典(旧版)内の《文会筆録》の言及

【闇斎学】より

…闇斎は孔子の〈述而不作〉の立場を自己の学風とし,自分の独自の見解を創出するよりは朱子の四書注解,朱子の文集や語類を精読し,主題ごとに朱子関係の文献の内容を摘録して編著を刊行した。《文会筆録》はそうした立場での程朱学百科全書ともいうべき彼の主著である。彼は程朱学の学説集成に努力するとともに,一方では日本の教学としての神道の学説集成に力を尽くし(垂加神道),理論的な儒教と神秘的な神道とを並行両立させることによって道の本質は闡明(せんめい)しうると考えた。…

【垂加神道】より

…これまでも闇斎は東下の途中伊勢神宮に参拝し,神道に対する関心を強め,1669年には大宮司大中臣精長から神道の秘伝を受けていたが,惟足から霊社号を授けられたことにより,惟足の吉田神道と度会延佳(わたらいのぶよし)の伊勢神道を総合する垂加神道を提唱する基礎が成立した。 73年(延宝1)以後闇斎は京都に住み,儒学の思想を集成した《文会筆録》と神道の思想を集成した《中臣祓風水草》《神代巻風葉集》の著述に力を注ぎ,中国の道としての儒教,日本の道としての神道をそれぞれ混交せずに,その思想を文献に即して究明しようとする努力を続けた。垂加神道は神儒合一思想の産物ではなく,道の発現としての儒教と神道をそれぞれ独自に究明することにより神道の本質を闡明(せんめい)したところに従来の吉田,吉川,伊勢,度会などの先在神道と異なる独自性があり,これが近世後半の古学神道に対しても大きな思想的影響を及ぼした。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」