フワーリズムシャー朝(読み)フワーリズムシャーちょう

改訂新版 世界大百科事典 「フワーリズムシャー朝」の意味・わかりやすい解説

フワーリズム・シャー朝 (フワーリズムシャーちょう)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フワーリズムシャー朝」の意味・わかりやすい解説

フワーリズム・シャー朝
フワーリズムシャーちょう

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世界大百科事典(旧版)内のフワーリズムシャー朝の言及

【ホラズム・シャー朝】より

…1077‐1231年。フワーリズム・シャー朝とも呼ばれる。この地方では,アラブの侵入以前から,ホラズム・シャーと称するイラン系の支配者があり,その後のサーマーン朝ガズナ朝系の地方政権も,ホラズム・シャー朝の名で呼ばれた。…

※「フワーリズムシャー朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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