ボルヌー帝国(読み)ボルヌーていこく

世界大百科事典(旧版)内のボルヌー帝国の言及

【アフリカ】より

…ガーナの都は,王の町と約2km離れた商人の町とに分かれていたし,〈黄金の都〉トンブクトゥは,マリ,ソンガイの王都であったことは一度もなく,大幅な自治権をもっていた。 これらの王国,帝国とほぼ同時代から後の時代にかけて,チャド湖周辺部にカネムおよびのちにそれを併合したボルヌー帝国(カネム・ボルヌー帝国)が,その南西方にはハウサ諸国家が形成された。いずれも起源は9~10世紀にさかのぼる黒人王国であったが,カネムの王は11世紀にイスラムに入信し,ハウサにはおそらく14世紀にマリ帝国から移住してきた商人集団によってイスラムがもたらされた。…

【カネム・ボルヌー帝国】より

…14世紀後半にチャド湖東方の遊牧民ブララ族が反乱を起こし,このためイブラヒム王はカネムを捨て,ソー族を追い払って,チャド湖南西のボルヌー地方のビルニ・ヌガザルガムに遷都した。カネム・ボルヌー帝国と言われるゆえんである(遷都以前をカネム帝国,以後をボルヌー帝国と呼ぶこともある)。16世紀後半イドリース・アローマ王の時,帝国は最盛期を迎える。…

※「ボルヌー帝国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む