ロンドン万国博覧会

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ロンドン万国博覧会」の解説

ロンドン万国博覧会(ロンドンばんこくはくらんかい)

万国(ばんこく)博覧会

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のロンドン万国博覧会の言及

【植民地主義】より

… 第1に,植民地イメージの構成の面からみると,まず,宗主国社会の人々は19世紀中葉以降,アフリカなど植民地化された社会とそこに住む現地人に対して負の価値(〈未開〉〈野蛮〉〈後進〉〈停滞〉),宗主国には正の価値(〈文明〉〈信仰〉〈先進〉〈進歩〉)をおき,その両者を対比するような世界像を共有するにいたったといえよう。たとえば,1851年のロンドン万国博覧会の会場は,イギリスを中心とした世界イメージに沿って構成されており,中央にはイギリスの先進性を象徴する巨大な機械がおかれ,周辺には,世界各地の物産,工芸などが配置された。このような中心と周辺とを対比させた世界像のうえに,植民地での行政や交易にたずさわった人々の断片的で多彩な体験や感情がちりばめられた。…

【万国博覧会】より

…時代の最先端をいく世界各国の科学技術の粋を一堂に集めて展示するほか,各国それぞれのお国ぶりを紹介する展示や催物により国際交流を深めようとする世界最大の博覧会。万国博,万博とも呼ばれる。その第1回はイギリスのビクトリア女王の夫君アルバート公の強い後押しもあって1851年ロンドンのハイド・パークで開かれ,約40の国が参加した。入場者は600万人で興行的にも成功した。この成功は当時イギリスにならって工業化の道を歩んでいたフランス,アメリカなどの国々にとって大きな刺激となり,以降,ニューヨーク,パリ,ウィーンなどで次々に万国博が開かれていった。…

【プノンペン】より

…カンボジアの首都。人口92万(1994)。メコン河口から約300km遡航した自然堤防上の河岸に開けた都市で,港は2500トンまでの船が横づけできる。プノンペンとはカンボジア語で〈ペンの丘〉を意味する。《王朝年代記》によれば,洪水のときに上流から仏像4体が流れつき,敬虔なペンという名の夫人がこの仏像を小さな丘の東斜面に安置したという。これが〈ペン夫人の丘の寺院〉説話で,プノンペン発祥伝説のもととなった。…

【ロンドン】より

…イギリス,イングランド南東部にある同国の首都。ニューヨーク,東京などと並ぶ世界最大の都市の一つで,国際的な政治,経済,文化の中心地である。かつての大英帝国,現在のイギリス連邦の中心でもあり,近代においてはしばしば国際会議,国際条約締結の舞台となった。地名はケルト語で〈荒れた〉を意味するロンドlondoに由来し,ローマ時代にはロンディニウムLondiniumまたはロンディニオンLondinionと呼ばれた。…

※「ロンドン万国博覧会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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