ウラヤコタン(読み)うらやこたん

日本歴史地名大系 「ウラヤコタン」の解説

ウラヤコタン
うらやこたん

漢字表記地名「羨古丹」のもとになったアイヌ語に由来する地名。ホンホロトに隣接し、当地一帯は近代に入り浜中村に、のち分立した後静しりしず村に包含された。仮名表記は「ウラヤコタン」以外に異表記をみない。「蝦夷日誌」(一編)に「番屋壱軒有。海岸暗礁多し。又ヲライ子とも云り。此処迄モイレアトヱより壱里と云り。此処より陸道アン子ベツへ山道有るよし也。然し夷人のミ通行す」とみえる。しかし一八三一年(天保二年)当地に異国船が来航、乗組員が上陸して番屋・家作すべてを焼払った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報