…任地はアフリカなど植民地が多く,全般に厳しい勤務条件といえる。 近代的傭兵としては外人部隊のほかにイギリスのグルカ兵など現地採用の傭兵の例もあり,また,コンゴ動乱(1961),ナイジェリア内乱(ビアフラ戦争,1967‐70),セーシェルのクーデタ事件(1981)などでは,多くの白人傭兵が導入された。 外人部隊は入隊者の過去を一切問わないため,政治亡命者や犯罪者など暗い影を持った人,冒険を求める人たちのたまり場ともなっていたといわれ,アフリカの砂漠を舞台とした外人部隊の生活は,映画や小説の好材料ともなっている。…
…その政治・社会体系はヒンドゥー法に基づいて整備されたため,元来カースト制のなかった諸民族もそれぞれカーストと見なされ,上記のバウン,チェトリの下の欠落した所に位置づけられてきた。なお19世紀中葉からネパールはイギリスと友好的な関係をもち続け,インドにおけるイギリス軍に傭兵を提供してきたが,その傭兵は〈グルカ兵〉と呼ばれ,勇猛さで知られる。またそれはグルン,マガルその他の人々の重要な収入源となっている。…
…今日,牧畜,交易の比重は低下し,稲も栽培する農業が主要な位置を占める。またネパール軍軍人,インド軍や〈グルカ兵〉として知られるイギリス軍の傭兵,ポーターなどになる者も多く,村々には成人男子の数がかなり少ない。グルン社会は〈4氏族〉集団と〈16氏族〉集団に分かれ,前者が後者より地位が高く,おのおの内婚的で,また各〈氏族〉は父系の系族に分かれるといわれるが,近年,国の行政組織の浸透を契機として地位をめぐる抗争が見られる。…
…外貨獲得にとってヒマラヤなどを対象とする観光は有望な産業で,近年の伸びが著しいが,交通機関,宿泊施設などの整備,サービスの充実に問題が残る。またイギリス軍,インド軍への〈グルカ兵〉としての出稼ぎや,インドなど近隣諸国への出稼ぎも大きな貿易外収入源となっているが,その結果,山地の村々には成人男子労働力が極端に少なくなっている例も見られる。 交通は大半の地域では徒歩に頼らざるをえないが,1950年代以来,カトマンズとタライ,チベットを結ぶ自動車道,タライの東西自動車道,山地部の町ポカラとカトマンズおよびタライを結ぶ舗装道路などが建設されている。…
…これら二つの文化を異にする人々は,共同体としてのまとまり,自然に対する態度,飲食タブー,価値観を異にしている。 ネパール・ヒマラヤの山地は,またグルカ兵の郷土でもある。限られた貧しい土地,人口増加のはけ口として,兵士としての出稼ぎが行われた。…
※「グルカ兵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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