…以後,マキノ時代劇の一翼をになうスターとしての活躍は華々しく,《文明の復讐》(1925),《修羅八荒》《転落》(ともに1926),《悪魔の星の下に》《道中悲記》《砂絵呪縛》(ともに1927)などで,人気を不動のものにした。この間,《美丈夫》(1926)などで牧野省三の娘のマキノ輝子(のち智子)と共演することが多く,妻子がありながら恋愛関係になってかけおち騒ぎまで起こし,怒った牧野省三から一時馘首(かくしゆ)された。 28年にはマキノを離れて独立プロを興すが,翌年に解散し,以後,独立プロの再興と解散,フリー,松竹,新興キネマ,日活,大映への入社を,交互に繰り返した。…
… 横田商会,日活をへて,21年に独立して〈牧野教育映画撮影所〉(1925年には〈マキノ・プロダクション〉)を設立。直木三十五を〈食客〉として遇し,門下から,シナリオライターとして,寿々喜多呂九平(すすきたろくへい),山上伊太郎,監督として息子のマキノ正博(戦後マキノ雅弘と改名,現在はマキノ雅裕),金森万象,衣笠貞之助,中島宝三,沼田紅緑,井上金太郎,松田定次,久保為義,滝沢英輔,並木鏡太郎(山中貞雄や中川信夫もその助監督として働いており,内田吐夢,二川文太郎も世話になったことがある),それに俳優として,先の尾上松之助をはじめ,阪東妻三郎,市川右太衛門,嵐長三郎(のちの寛寿郎),片岡千恵蔵,沢村国太郎らの男優(いずれも時代劇スターとして一世をふうび),娘のマキノ輝子(のちのマキノ智子),森静子,岡島艶子,鈴木澄子,松浦築枝,大林梅子らの女優をスターとして育て,世に出している。 牧野の家系そのものも日本映画史の一つの流れをつくっているといってもよく,省三の子には,先にあげたマキノ智子(1907‐84。…
※「マキノ輝子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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