朝日日本歴史人物事典 「三木自綱」の解説
三木自綱
生年:天文9(1540)
飛騨国(岐阜県)の戦国大名。良頼の子。初名は光頼。左京大夫,大和守,侍従。父良頼以来,飛騨国司家の名跡を継ぎ,姉小路自綱ともいう。元亀3(1572)年父の死で家督を相続。上杉謙信に属す一方で織田信長にも接近し,天正7(1579)年ごろ松倉城を築城。同10年から翌年にかけて江馬氏,広瀬氏らを討ち,飛騨一国をほぼ制圧すると,家督を子の秀綱に譲り,広瀬高堂城へ移る。その後,越中の佐々成政と結んで羽柴(豊臣)秀吉に敵対したため,同13年,秀吉の部将金森長近軍の侵攻を受け,松倉城の落城以前に高堂城を開城して降伏。以後は京都に住した。なお,妻は美濃斎藤道三の娘という。
(谷口研語)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報