朝日日本歴史人物事典 「中川善兵衛」の解説
中川善兵衛
生年:寛政5(1793)
江戸後期の義民。幕領,佐渡国羽茂郡上山田村(新潟県羽茂町)の農民。天保9(1838)年12代将軍徳川家慶襲職にともなう巡見使来島の際,佐渡一国惣代として,過重課税,地役人の不正,商品流通に関する専売制,鑑札制などの是正を要求した訴状を巡見使に提出した。その後捕縛されたが,善兵衛釈放を要求して2万人の農民が押し寄せようとしたため一旦は釈放された。意気盛んになった一揆勢は専売制,鑑札制に関係する問屋などに対する激しい打ちこわしを展開し,高田藩兵入国まで半ば無政府状態が続いた。善兵衛ら一揆勢の頭取のほか,地役人らも入牢を命じられ,江戸で吟味が行われたが,善兵衛獄門の判決が下ったとき(11年8月7日)には善兵衛はすでに牢死していた。しかし善兵衛らの要求は一揆後佐渡奉行に就任した川路聖謨 の政治に活かされることになり,善兵衛は義民として顕彰されていった。<参考文献>伊藤治一『佐渡義民伝』,『編年 百姓一揆史料集成』15巻
(大橋幸泰)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報