… 志賀高原は昭和初期までは沓野(くつの)地区(山ノ内町)の入会地で,採草地や竹細工に用いるネマガリダケ,薪炭材などの採取地に利用されているにすぎなかった。高原を通る草津街道は南の大笹街道の脇往還の役割を果たし,奥信濃と北上州を結ぶ最短ルートとして利用され,発哺(ほつぽ)温泉,熊ノ湯温泉などの湯治場もあったが,観光開発がはじめられたのは1927年に長野電鉄が湯田中まで開通し,29年に志賀高原丸池スキー場が開設されてからであった。30年丸池ヒュッテ,37年志賀高原温泉ホテル(京都ホテル経営)と観光施設も相次いで建設された。…
※「丸池スキー場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」