朝日日本歴史人物事典 「兼康祐元」の解説
兼康祐元
江戸前期の口中医(歯医者)。流行品となった歯磨粉を処方した。平安時代に『医心方』を編纂した丹波康頼の後裔である兼康家の5代目。兼康家は江戸芝の柴井町と源助町に薬種,歯薬,香具を商う店を持っていたが,元和3(1617)年祐元は本郷に第3番目の店を出した。祐元が処方した歯磨粉「乳香散」は元禄時代(一説には享保年間)に別家の兼康祐悦が本郷店で販売すると流行品となり,「かねやす」というと歯磨粉を意味したという。明和ごろから「本郷も兼康までは江戸の内」の句で有名になる。また芝柴井町の店主は代々「祐元」を名乗り,口中医あるいは入歯師としても栄えた。<参考文献>山田平太「兼康家の人々」(『日本歯科医史学会会誌』1巻1号),花咲一男編「江戸のくすりや」(『再版川柳江戸名物図絵』)
(蔵方宏昌)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報