医療を業として行う者をいい、俗に医者ともよばれる。現在の日本における医師の場合は、医師法(昭和23年法律第201号)の定めに従うこととなっている。すなわち、医師法の第1条では、「医師は、医療及び保健指導を掌(つかさど)ることによって公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もって国民の健康な生活を確保するものとする」とあり、医師の定義がなされている。さらに第17条は、「医師でなければ、医業をなしてはならない」と定め、第18条では、「医師でなければ、医師又はこれに紛らわしい名称を用いてはならない」とし、医療に関する医師の業務独占、さらに名称についての独占を規定している。医業は患者のもつ病的な部分を改善していく治療行為ではあるが、法解釈上でのいわゆる医業とは、医師の医学的判断や技術をもって、人体に危害を及ぼしたり、または危険を及ぼすおそれのあるいっさいの行為を、反復継続する意志のもとに行うこととされている。
[中川米造・中川 晶]
医師の免許は、第2条で「医師になろうとする者は、医師国家試験に合格し、厚生労働大臣の免許を受けなければならない」と定められている。この医師免許を受けるための受験資格をもつのは、次の三つのいずれかに該当する者とされる(医師法11条)。
(1)大学で医学の正規の課程を修めて卒業した者
(2)医師国家試験予備試験に合格したうえで、合格後1年以上の診療および公衆衛生に関する実地修練を終えた者
(3)外国の医学校を卒業し、または外国で医師免許を得た者で、厚生労働大臣が前の(1)(2)に掲げる者と同等以上の学力および技能を有し、かつ、適当と認定した者((3)で受験資格が認められない場合は、(2)に準ずる)
このように、医師となる者は、(1)(2)(3)のいずれかによって資格を得たうえで、医師国家試験に合格しなければならないわけである。ただし、未成年者には免許が与えられない(医師法3条)。
また、医師となった者でも、それが精神病者、麻薬・大麻もしくはアヘンの中毒者、罰金以上の刑に処せられた者、医事に関し犯罪または不正の行為のあった者である場合には、厚生労働大臣は免許を取り消したり、または、期間を定めて医業の停止を命じることができると定められている(医師法4条、7条)。
なお、基本的には医療法人の理事長、保健所の所長も医師免許が必要であるとされている。ただし、理事長の場合、都道府県知事の認可を受けた場合は非医師でも理事長になることができる(医療法46条の6、地域保健法施行令4条)。
[中川米造・中川 晶]
広告することのできる診療科目については、これまでは一つ一つ医療法で規定されていたが、現在はかなり緩和され、医療法施行令第3条2(平成20年改正)では以下のように規定されている。
〔1〕内科
〔2〕外科
〔3〕内科または外科と、以下の事項とを厚生労働省令で定めるところにより組み合わせた名称(医学的知見および社会通念に照らし、不合理な組合せとなるものとして厚生労働省令で定めるものを除く)
(a)頭頸(とうけい)部、胸部、腹部、呼吸器、消化器、循環器、気管食道、肛門、血管、心臓血管、腎臓、脳神経、神経、血液、乳腺、内分泌、代謝、またはこれらを構成する人体の部位、器官、臓器、組織など
(b)男性、女性、小児、老人など性別や年齢を定める事項
(c)整形、形成、美容、心療、薬物療法、透析、移植、光学医療、生殖医療、疼痛(とうつう)緩和などの医学的処置のうち、特定の領域を表す用語
(d)感染症、腫瘍(しゅよう)、糖尿病、アレルギー疾患などの病態を表す用語
さらに前記以外の診療科として、精神科、アレルギー科、リウマチ科、小児科、泌尿器科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉(いんこう)科、リハビリテーション科、放射線科、病理診断科、臨床検査科、救急科がある。またそれ以外でも、厚生労働省令に反しなければ自由につくることができる。
このため、これまでには見かけなかった診療科が標榜(ひょうぼう)されるようになっている。アレルギー内科や美容外科など。また歯科医師についても同様の事情で矯正歯科、小児歯科、口腔(こうくう)外科などの科目が標榜されるようになっている。しかしながら、日本では法律上の専門医制度がいまだに導入されていないため、多くの専門医学会が学会認定医や専門医の認定を行っているが、欧米のような専門医制度に至っているとはいいがたい。
[中川米造・中川 晶]
次に、医師の発生と社会的な地位について概観してみる。
一般に人間が病気であるということは、身体的な問題に対して、自らが対処できないという状況を意味するわけであり、当然、他人の援助が要求される。しかも、援助する者は、身体的な問題について対処しうる知識と技能をもっていることが望まれる。こうした要求にこたえて生まれるのが、いわゆる「医療者」である。こうした医療者は、経験を積み、知識を集めることで、一般の者よりは高いレベルに達することはできるが、万能ではない。しかし病人は、医療者に対して万能であることを期待してやまない。そこで医療者としては、経験的な知識や技術では対応できない局面には、迷信的で超自然的な論理をよりどころとして臨むこととなる。こうした超自然界の論理は、感情の論理ではあるが、病気による不安に対しては一定度の鎮静効果はもつものである。
職業的な医療者(医師)の発生は、7000年前のメソポタミアやエジプトにも認められるといわれるが、古代のどの国家においても、医師の始まりは呪術師(じゅじゅつし)としてであった。
中国での医の正字は「醫」または「毉」と書く。「醫」の解釈として、酉は酒で薬物を、医は矢、つまり鋭利な刃物で外科を意味するという考えもあるが、酉は祭壇に捧(ささ)げる容器であり、矢は悪霊退散の象徴的器具と考えるのが妥当であろう。「毉」という字では、つくりに「巫(みこ)」が含まれていることからも、医療者は呪術師的な存在であったことを示している。
日本において医師にあたる古語は「くすし」(薬師)である。これは「くすりし」が詰まったものともいわれるが、「奇(く)す」、つまり奇跡を行う者という意味から出たとも解される。また「薬」は楽しませる草というよりは、楽な気分に変える作用を草によって達成させようという意味にもとれる。
ヨーロッパ各国で、薬を意味する言語の多くは、ギリシア語のファルマコンphàrmakonに由来するが、これは、呪術師の用いる草根木皮の類をさしている。
医療者は、このように呪術との関連から出発したわけであるが、やがて宗教と結合する段階が生まれてくる。宗教は人々の世界観や死生観を支えるとともに、それが政治権力と結び付くとき、政治権力を裏側から支える機能をも果たすことになる。多くの古代国家における支配者は、宗教と医療とを同根の政治の用具と考えた。メソポタミアやエジプトにおける古代国家でも、この傾向は明らかである。
また多くの宗教では、宗教独自の活動の一つとして、病者の救済が積極的に進められた。こうした場合、聖職者と医療者は同一人であることが珍しくなかった。呪術から医術を独立させたといわれる古代ギリシアのヒポクラテスも、治療神アスクレピオスを信奉する医療者組合「アスクレピアド」の一員であった。
日本でも、仏教と医学の関係は深い。とくに鎌倉時代以降、仏教が為政者の保護を離れて大衆化していくときに、僧侶(そうりょ)は医療的救護事業を盛んに行った。また医療者にも、僧侶のような衣服をまとう者が多かった。
医療者が呪術との関係、宗教とのかかわりから離れたとき、初めて医療者の自立が始まるが、それは、ヨーロッパではルネサンス以降であり、18世紀は地位確立の最盛期であった。しかし、宗教からの独立ということはあっても、病人や社会からの要請にこたえる「万能観」は別の形で持ち続ける必要があった。その一つは、高度の学問を身につけた者であることを社会的、制度的に保障することであった。ヨーロッパでは、これを大学という高等教育の場に置き、修了した者は、他の者を教える権利を授けられ、つまりドクターとなれることで、これを保障した。元来ドクターとは、ラテン語のドセレdocēre(教えるの意)から生み出された資格である。もう一つは、プロフェッションとして集団的に身分を保障することであった。プロフェッションとは、プロフェスprofess(公言するの意)に由来することばで、古典的には、医師、法律家、聖職者の三つの職能者をさすものであった。この三つの職種領域は、利用者からみると、そのサービスの内容程度についての判断が困難であるところから、同業者が集団をつくり、自律的に資格やサービスの倫理的遂行について規制しあうことをプロフェスするために、プロフェッションとよばれたわけである。
この職能者集団は、団体の立場を、より権威づけるためには、教会なり国なりに承認してもらうか、あるいはその団体の発行する資格証明書の署名人になってもらうことが必要であった。このような背景から生まれた資格試験は、国家試験という制度となっていくわけである。こうしたヨーロッパにおける努力も、なかなか業務独占、名称独占には成功せず、19世紀に至って初めて可能となった。
一方、日本の医事制度は『大宝律令(たいほうりつりょう)』に始まるが、それ以後、庶民に開かれた高等教育組織がなかったために、医療者は、ただちには知識人としての信頼は得られなかった。また、医療者の集団や組織化もなかったために、プロフェッションへの発展もなかった。ただ、鎌倉・室町時代以降になると、一般大衆の医療を業とする者がしだいに増加し、そのなかでとくに傑出した者が私塾を設けて流派を開き、流派につながることで、社会的、制度的な信頼を得ようとしたにすぎなかった。
日本での医療者の地位確立は、ヨーロッパよりはさらに遅れ、1869年(明治2)政府が以後の医学および医療をドイツに範をとることを決定して、初めて具体化されたのである。
医師ないしは医療者の地位独立についての歴史的概観を述べたが、現在の医学界を眺めたとき、医師は、科学を背にすることによって、知識・技術の不確実性を克服し、社会的な信頼を得ようとしているということができよう。
[中川米造・中川 晶]
『中川米造著『医学をみる眼』(1967・日本放送出版協会)』▽『川上武・中川米造編『講座現代の医療 4 医学教育』(1972・日本評論社)』▽『吉利和・中川米造著『新医学序説』(1977・篠原出版)』▽『中川米造著『素顔の医者――曲がり角の医療を考える』(1993・講談社)』▽『厚生省健康政策局総務課編『医療法・医師法(歯科医師法)解』第6版(1994・医学通信社)』▽『黒川清・田辺功著『医を語る――医師の質を高め患者のための医療を探る』(1995・西村書店)』▽『南和嘉男著『「良医」とは何か――「良医」と「医療制度」の研究』(1995・新興医学出版社)』▽『中川米造著『医学の不確実性』(1996・日本評論社)』▽『バーナード・ラウン著、小泉直子訳『医師はなぜ治せないのか』(1998・築地書館)』▽『五十嵐勝朗著『医師に必要な実務、法的知識』第3版(1998・中外医学社)』▽『能勢之彦編著『世界のベスト医療をつくる――医師たちの選択(海外編)』(1999・はる書房)』▽『真野俊樹著『医師は変われるか――医療の新しい可能性を求めて』(2000・はる書房)』▽『エルヴェ・アモン著、野崎三郎訳『「医師」像の解体』(2002・はる書房)』▽『樋口範雄著『医療と法を考える』(2007・有斐閣)』▽『東北大学大学院医学系研究科地域医療システム学(宮城県)寄附講座編『東北大学地域医療シンポジウム講演録 医師不足と地域医療の崩壊1、2』(2007、2008・日本医療企画)』▽『中原英臣・岡田奈緒子著『医療破綻――漂流する患者、疲弊する医者』(2008・PHP研究所)』
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【医者の役割と地位】
社会学的にとらえると,医者とは医療に関して高度の知識や技術を保持しており,感情的に安定し,緊急事態においても動揺せず,さらにみずからの知識や技術を病人の救助という社会的な善に向けるという役割期待にこたえているものをいう(T.パーソンズ)。したがって現代社会では,高度の知識・技術の保持者であることを示すために,(1)高等教育を受けていること,しかも他の多くの職能者より長年月学習し,(2)その教育訓練の内容も近代社会でもっとも信頼され,また感情的な安定を保持するため,客観性を手段とした知識であると一般に認められている科学を基本にして行われているうえに,(3)医師法などに基づき独占的に医療を行うことを国の免許によって法的にも保証された職能者である。このようにして医者は病気の統御者としての役割を期待されているが,病気と病人とは不可分に結びついており,さらに病人は一般に医者に感情的に依存しようという傾向のあるところから,その役割を権威的に演ずることが多い。…
…医療の行為のうち,患者を診断し,適切な処方箋を発行することを医師が責任をもって行い,処方箋に基づいて誤りなく医薬品の調製を薬剤師が行い,患者に交付するという医師・薬剤師の責任分担を明確にした制度をいう。ヨーロッパでは,早くから医薬の分化の萌芽があり,6世紀の文献上にすでに〈医師が処方し,ピグメンタリウスpigmentarius(薬剤師の前身と考えられる薬種商)が調剤する〉との記述が認められる。…
…病気という名前で呼ばれる個人的状態に対し,それを回復させるか,あるいは悪化を阻止しようとしてとられる行為をいう。その内容は,病気を診断し治療することであるが,実施にあたるのは近代的社会では法律的にその資格を独占的に与えられている医師が中心になるところから,医師の行う行為一般に拡大されることもある。たとえば,美容上の目的をもって行われる手術,避妊処置,人工妊娠中絶,人工受精,体外受精,性転換手術や性ホルモン注射療法などは,病気の回復を目的とはしないが,それらを実施するのに最も安全で確実な技術を提供できると期待されるし,また施設・器材も病気の医療のためのものと共用できることなどから,医師にそれらの行為を限定し,医療の定義のなかに入れられる。…
…そうした制度をインターンシップinternshipといい,その研修生をインターンと呼ぶ。一般には医師の場合を指して用いられることが多いが,同様の制度は美容師,理容師の場合にも見られる。医師の場合,第2次大戦後アメリカにならって,大学医学部卒業後1年間,大学病院や認定された教育病院で,臨床の実地修練を積んだのちに,はじめて国家試験の受験資格が与えられる制度が始まった。…
※「医師」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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