朝日日本歴史人物事典 「北条実泰」の解説
北条実泰
生年:承元2(1208)
鎌倉中期の武将。父は義時。母は一条実有の娘。初名は実義。法名は浄仙。妻は天野政景の娘。源実朝の御前で元服しており「実」の一字は実朝からの拝領であろう。寛喜2(1230)年に兄・重時が六波羅探題へ下向し小侍所別当に就任したが,天福2(1234)年に辞して六浦荘蒲里谷郷(横浜市)に隠居し「蒲里谷殿」と呼ばれた。『東撰和歌六帖』に和歌が収録され実朝に随従する歌人であった。称名寺伝来の法体像は実泰とされ,東明慧日が賛を加え「自由人」と評している。没後七回忌の実泰の供養に,嫡子実時は称名寺に梵鐘を鋳造している。<参考文献>関靖『金沢文庫の研究』
(福島金治)
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