吉良上野介(読み)キラコウズケノスケ

デジタル大辞泉 「吉良上野介」の意味・読み・例文・類語

きら‐こうずけのすけ〔‐かうづけのすけ〕【吉良上野介】

吉良義央きらよしなか

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉良上野介」の解説

吉良上野介 きら-こうずけのすけ

吉良義央(きら-よしなか)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉良上野介」の意味・わかりやすい解説

吉良上野介
きらこうずけのすけ

吉良義央

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉良上野介」の意味・わかりやすい解説

吉良上野介
きらこうずけのすけ

吉良義央」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の吉良上野介の言及

【吉良義央】より

…江戸中期の幕臣。赤穂事件の中心人物。通称上野介。禄高は4200石。1668年(寛文8)に父の跡をついで高家(こうけ)となり肝煎(きもいり)をつとめたが,1701年(元禄14)3月14日に江戸城中で,礼式指導で侮辱されたとして赤穂藩主の浅野長矩(ながのり)に斬りつけられて負傷し,辞職して翌年隠居した。切腹となった長矩の家臣は,義央を浅野家を破滅に追いこんだ事実上の仇敵とみなし,義央は02年12月14日赤穂浪士に邸を襲われて殺害され,吉良家はその際の対処の仕方が〈不埒〉であるとして取りつぶされた。…

※「吉良上野介」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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