朝日日本歴史人物事典 「城間清豊」の解説
城間清豊
生年:尚寧26.10.18(1614.11.19)
首里王府時代の絵師。唐名は欽可聖,雅号は自了と称した。先天的な聾唖者として生を受け,独学で画技を習得したといわれる。「白択の図」に代表されるように,想像上の獣とか寿老人,仙人など画題を中国に求めている作品が多く,中国絵画の影響を否定することはできない。しかし,自了以後の王府絵師のほとんどが,中国福州の花鳥図や山水図の模倣というパターン化された画題に傾斜していったことを考えると,むしろ新鮮である。琉球国王を任じるために来琉した冊封正使が,中国の高名な絵師・顧虎頭をひきあいに称賛したエピソードもうなずける。<参考文献>陳元輔『中山自了伝』
(上江洲敏夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報