改訂新版 世界大百科事典 「大日本紡績」の意味・わかりやすい解説
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…台地下には南北に紀州街道(国道26号線)が通じる。江戸時代から農家の副業として発展した和泉木綿織物の産地で,明治に入って近代的な紡績工場が立地し,とくに1934年に当時東洋一の規模の大日本紡績(現,ユニチカ)の工場を建設してからは泉州地域における代表的な綿スフ紡績・織物業の集積地となった。農業では,市域の南東部丘陵地や山地斜面を利用したミカン栽培や稲作の裏作としてのタマネギ栽培のほか,大阪市の近郊に位置する地の利を生かしたハウスでの蔬菜栽培も行われている。…
…ところで,この間における国産技術の向上は糸質の向上,製造コストの低下をもたらし,レーヨン糸の用途を女物帯地から交織物へと広げ,他方1921年以来進められていた関税改正作業のもとで,レーヨン糸輸入関税の従価3割水準への引上げが予想された。26年から28年にかけて,大日本紡績(後のニチボー),三井物産,倉敷紡績,東洋紡績の4社がレーヨン工業に参入して,それぞれ日本レイヨン,東洋レーヨン(現,東レ),倉敷絹織(現,クラレ),昭和レーヨンという子会社を設立した。このうち大日本紡,三井物産,東洋紡の3社は,ドイツのレーヨン・コンサルタントであるオスカー・コーホン社に機械据付け,運転の指導と技術者のあっせんをそれぞれ依頼し,倉紡はフランスのランポーズ式技術を,技術者の現場での実習と機械購入を通じて導入した。…
…この操短の過程で企業の整理・統合が進み,大手紡績会社の独占度が高まった。また,大手会社どうしの合併も行われ,1914年には大阪紡績と三重紡績が合併し東洋紡績が,18年には尼崎紡績(1889設立)と摂津紡績(1889設立)が合併し大日本紡績(現,ユニチカ)が生まれた。 第1次大戦中には綿糸の輸出量がピークを迎え,以後逓減傾向で推移したのに対して,綿布の輸出は1914年の3億3700万平方ヤードが18年には10億0600万平方ヤードへと飛躍的に拡大し,金額ベースでも1917年に綿布輸出が綿糸輸出を上回るようになった。…
…本社大阪市中央区。 ニチボー(株)は1889年有限責任尼崎紡績会社として設立,数社の合併を経て1918年大日本紡績(株)と改称した。当初は綿業専業であったが,大正後期から絹紡,スフ,羊毛等に多角化した。…
※「大日本紡績」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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