ユニチカ
1889(明治22)年、兵庫県尼崎市で尼崎紡績として創業。1918年に摂津紡績と合併して大日本紡績となり、69年には子会社だった日本レイヨンと合併しユニチカとなった。スポーツ活動に力を入れ、1964年東京五輪で金メダルを獲得し「東洋の魔女」と呼ばれたバレーボール女子の日本代表に多数の選手を輩出。70年代以降は手塚理美さん、米倉涼子さんらをマスコットガールなどに起用し注目された。2014年3月期の連結業績は売上高1626億円、純利益5億円。
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ユニチカ[株]
1969年,紡績会社のニチボー(株)と合繊メーカーの日本レイヨン(株)が,繊維業界では初の綿紡と合繊の垂直合併をして発足した総合繊維の大手会社。本社大阪市中央区。
ニチボー(株)は1889年有限責任尼崎紡績会社として設立,数社の合併を経て1918年大日本紡績(株)と改称した。当初は綿業専業であったが,大正後期から絹紡,スフ,羊毛等に多角化した。第2次大戦後は1950年に国産の合成繊維ビニロン製造第1号機を稼働させた。64年にニチボー(株)と改称した。
日本レイヨン(株)は1926年大日本紡績の子会社として設立された人絹(レーヨン)メーカーであった。戦後は欧米からの技術導入により,ナイロン,エステル等の合成繊維製造を積極的に展開した。
昭和40年代に入って,アメリカの繊維製品輸入規制,発展途上国の追上げ等に対抗し,国際競争力を強化するため両社の合併が実現した。しかし新会社発足後も同社をとりまく状況は厳しく,繊維部門の一層の充実,非繊維部門の強化をめざして,経営再建努力が続けられた。非繊維部門は順調に拡大し,現在では売上高の53%を占め(2005年3月現在),とくに包装用フィルムの比重が大きい。資本金238億円(2005年9月),売上高2179億円(2005年3月期)。
執筆者:中山 裕登
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ユニチカ(株)
ゆにちか
総合繊維会社。1969年(昭和44)、紡績会社のニチボーが合繊メーカーの日本レイヨンを合併して、改称・新発足した。ニチボーは、1889年(明治22)尼崎(あまがさき)紡績会社として創業。1918年(大正7)摂津紡績を合併して大日本紡績となり、いわゆる「三大紡」の一翼を担った。事業を多角化し、綿・毛・絹・化合繊の紡織加工一貫総合メーカーとしての道を歩み、1964年(昭和39)にはニチボーと改称した。日本レイヨンは、大日本紡績の子会社として1926年(大正15)に創業。1943年(昭和18)日本航空機材、1945年永興産業と改称したが、1947年には旧社名に復帰した。ユニチカとして新発足後は非繊維事業や環境ビジネス等の拡充にも力を入れ、エンジニアリング事業、樹脂事業等に進出している。日本エステルなどの関係会社がある。資本金238億円(2008)、売上高1038億円(2008)。宇治、岡崎などに工場をもつ。
[橘川武郎]
『ユニチカ社史編集委員会編『ユニチカ百年史』(1991・ユニチカ株式会社)』
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ユニチカ
総合繊維会社。三和グループ系企業 1889年尼崎紡績として設立,1918年摂津紡績を合併して大日本紡績と改称,64年ニチボーと改称,69年日本レイヨン (1926年大日本紡績から分離独立して設立) と合併して現社名に変更。天然繊維,化合成繊維の総合素材メーカーとして原綿から最終紡績加工製品まで一貫生産を行なっている。 72年には事業部制を施行して新体制を整え,プラスチック,エンジニアリング,住宅産業,医療品などの非繊維分野にも進出した。売上構成比は,ナイロン 11%,ポリエステル 24%,綿4%,毛3%,製品3%,非繊維 50%,その他6%。年間売上高 3037億 4700万円 (連結。うち輸出 10%) ,資本金 237億 9800万円,従業員数 2970名 (1999) 。
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ユニチカ[株]【ユニチカ】
1889年設立の尼崎紡績が1918年摂津紡績と合併,大日本紡績となり,1926年日本レイヨンを分離,1964年ニチボーと改称した。この間大正末〜昭和初年に綿紡績から絹・毛・ステープルファイバー紡績に拡大,第2次大戦後はビニロンに進出した。日本レイヨンは戦後ナイロン生産を開始。この両社が1969年合併してユニチカとなる。以後天然・化学両繊維を通じ織布まで一貫する,日本有数の総合繊維企業となった。今日では生分解プラスチックや健康食品など非繊維部門の拡充にも力を入れている。本社大阪,工場宇治,岡崎ほか。2011年資本金262億円,2011年3月期売上高1807億円。売上構成(%)は,繊維43,高分子37,機能材8,その他12。海外売上比率14%。
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ユニチカ
正式社名「ユニチカ株式会社」。英文社名「UNITIKA LTD.」。繊維製品製造業。明治22年(1889)「有限責任尼崎紡績会社」設立。同26年(1893)「尼崎紡績株式会社」に改組。大正7年(1918)「大日本紡績株式会社」に改称。昭和39年(1964)「ニチボー株式会社」に改称。同44年(1969)「日本レイヨン株式会社」と合併し現在の社名に変更。本社は大阪市中央区久太郎町。総合繊維会社。プラスチックフィルム・樹脂製品・ガラス繊維などの産業資材も展開。東京証券取引所第1部上場。証券コード3103。
出典 講談社日本の企業がわかる事典2014-2015について 情報
世界大百科事典(旧版)内のユニチカの言及
【貝塚[市]】より
…台地下には南北に紀州街道(国道26号線)が通じる。江戸時代から農家の副業として発展した和泉木綿織物の産地で,明治に入って近代的な紡績工場が立地し,とくに1934年に当時東洋一の規模の大日本紡績(現,ユニチカ)の工場を建設してからは泉州地域における代表的な綿スフ紡績・織物業の集積地となった。農業では,市域の南東部丘陵地や山地斜面を利用したミカン栽培や稲作の裏作としてのタマネギ栽培のほか,大阪市の近郊に位置する地の利を生かしたハウスでの蔬菜栽培も行われている。…
【化学繊維】より
…66年には日本レイヨンのポリエステル部門をもとに,日レ,鐘淵紡績(現,[鐘紡]),三菱化成,ニチボー(大日本紡績が1964年に改称)の4社が出資してポリエステル生産を行う日本エステルが設立され,東洋紡が経営不振に陥っていた呉羽紡を吸収合併した。69年にはニチボーと日レが合併して[ユニチカ]となった。こうした再編成が進むなかで合繊はいち早く不況から脱出し,新たな成長段階に入った。…
【繊維工業】より
…この操短の過程で企業の整理・統合が進み,大手紡績会社の独占度が高まった。また,大手会社どうしの合併も行われ,1914年には大阪紡績と三重紡績が合併し東洋紡績が,18年には尼崎紡績(1889設立)と摂津紡績(1889設立)が合併し大日本紡績(現,[ユニチカ])が生まれた。 第1次大戦中には綿糸の輸出量がピークを迎え,以後逓減傾向で推移したのに対して,綿布の輸出は1914年の3億3700万平方ヤードが18年には10億0600万平方ヤードへと飛躍的に拡大し,金額ベースでも1917年に綿布輸出が綿糸輸出を上回るようになった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」