大石内蔵助(読み)おおいしくらのすけ

江戸・東京人物辞典の解説

大石内蔵助

1659〜1703(万治2〜元禄16)【浅野家家老】赤穂藩浅野家の家老。 忠臣蔵の主役として、指導者の理想像に。名は良雄内蔵助は通称。山鹿素行軍学を学んだと言われる。1701年藩主浅野長矩が切腹、領地没収となると、家中を統率して浅野家再興を図る。その望みが絶たれた翌年、赤穂義士首領として、主君浅野長矩の敵・吉良義央を討った。自身は、幕法違反として肥後藩預けとなり、切腹したが、浅野長矩の弟大学が五百石の旗本になっており、浅野家再興は別の形で実現した。

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世界大百科事典内の大石内蔵助の言及

【大石良雄】より

…赤穂浅野家の家老。代々家老で内蔵助(くらのすけ)と称し,家禄は1500石。主君浅野長矩(ながのり)の一件に対する大石の方針は浅野家の名誉の回復であったが,名誉あるかたちでの浅野家再興を幕府に嘆願したがいれられず,長矩のけんかの相手とみなす吉良義央(きらよしなか)を殺して両成敗の処分を事実上完成させる方針に転じた。1702年(元禄15)12月14日,長矩の遺臣を率いて吉良邸に討ち入り目的をとげたが,幕府から切腹を命じられ翌年2月4日に死んだ。…

【忠臣蔵映画】より

… 最初の忠臣蔵映画は,1907年に吉沢商店がつくった《忠臣蔵五段目》であるが,これは11世片岡仁左衛門の与市兵衛・定九郎・勘平三役による歌舞伎映画であった。その後1910年,横田商会で映画スター第1号である尾上松之助の主演で《大石内蔵助一代記》がつくられ,つづいて同年,同じ横田商会が牧野省三監督,尾上松之助の浅野内匠頭・大石内蔵助・清水一角三役で,映画ではじめての〈忠臣蔵〉全通しである《忠臣蔵》をつくった。牧野省三,尾上松之助のコンビは,こののちも日活で,同社の創立記念作品《忠臣蔵》(1912),《仮名手本忠臣蔵》(1917),最初の超大作といえる《実録忠臣蔵》(1921)など,何度も〈忠臣蔵〉を映画化した。…

※「大石内蔵助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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