朝日日本歴史人物事典 「大磯の虎」の解説
大磯の虎
生年:安元1(1175)
鎌倉初期の相模国(神奈川県)大磯の遊女。虎御前,三虎御前ともいわれる。養母は大磯宿の長者菊鶴,実母は平塚宿の遊女夜叉王ともいわれる。父は大納言伏見実基とも,右衛門督源信頼の兄基成の乳母の子宮内判官家長ともいわれる。和歌の道にも優れ,容姿端麗であった。『曾我物語』では,曾我十郎祐成の愛人となり,富士の裾野で曾我兄弟が仇討ち事件(1193)を起こし,祐成が誅せられると,捕縛され取り調べられるが,罪はないとして許され,出家して尼となり,曾我兄弟の母を訪ね,母と共に箱根に登り,兄弟の供養をし,仇討ちの地も訪れた。その後,大磯高麗寺に住んだが,紀伊国(和歌山県)熊野に赴いた。虎御前の伝承は全国に残るが,出家の身となり,諸国の霊地を歩いた行動が『曾我物語』の形成と流布に関係があるとみられている。
(飯沼賢司)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報