天蓋(読み)てんがい

世界大百科事典(旧版)内の天蓋の言及

【虚無僧】より

…薦僧を虚無僧と表すようになったのは,世は虚仮で実体がないと観じ心を虚にするという考え方によるとか,また覚心の一系に虚無と称する者がでて服装や吹曲を整え形式を確立したことによるなど諸説がある。様相は,はじめ普通の編笠をかぶり,白衣を着ていたが,江戸時代には天蓋(てんがい)と称する筒形の深編笠をかぶり,黒衣に絡子(らくす)をかけ,丸ぐけ帯をしめ,手甲(てつこう),脚絆(きやはん)をつけ,下駄をはき,木太刀をもつ伊達(だて)姿となっている。また虚無僧の普化宗は,金先(靳詮)派,活総(火下)派,小笹(司祖)派,小菊(夏漂)派など諸派を形成し,それら諸派のうち七派だけでも幕末に92ヵ寺を数え,下総の一月寺と武蔵の鈴法寺および京都明暗寺が普化宗本寺触頭として統轄した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」