ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「奕訢」の意味・わかりやすい解説
奕訢
えききん
「恭親王奕訢」のページをご覧ください。
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…1852年(咸豊2)咸豊帝の後宮に入り,56年皇子載淳を生んだ。61年咸豊帝が死ぬと載淳が即位し,年号が祺祥と改められ,彼女は皇帝の生母として慈禧太后と尊称されたが,同年11月恭親王奕訢(えききん)と組んで宮廷クーデタを起こして先帝の寵臣を処刑し,年号を同治と改め,先帝の皇后であった慈安太后とともに垂簾聴政を始めた。慈安太后が東太后と通称されたのに対し,彼女は西太后と呼ばれた。…
※「奕訢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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