季吟(読み)きぎん

精選版 日本国語大辞典 「季吟」の意味・読み・例文・類語

きぎん【季吟】

  1. きたむらきぎん(北村季吟)

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改訂新版 世界大百科事典 「季吟」の意味・わかりやすい解説

季吟 (きぎん)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「季吟」の解説

季吟 きぎん

北村季吟(きたむら-きぎん)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「季吟」の意味・わかりやすい解説

季吟
きぎん

北村季吟

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世界大百科事典(旧版)内の季吟の言及

【北村季吟】より

…江戸前期の歌学者,俳人。名は静厚(しずあつ)。通称は久助。別号は蘆庵(呂庵),七松子,拾穂軒(しゆうすいけん),湖月亭。山城国粟田口の生れ。祖父宗竜・父宗円が連歌をよくした影響で,早くから文事に親しみ,16歳で貞室,22歳で貞徳に入門。1648年処女作《山之井(やまのい)》を刊行し,重頼と抗争中の貞室を助けて俳壇に名を挙げ,53年には《紅梅千句》の大興行に参加,跋文も書いた。貞徳没後は飛鳥井雅章(まさあきら)・清水谷実業(さねなり)に和歌・歌学を学び,歌道に明るくなると,貞室の無知がうとましく不和となり,56年《誹諧合(はいかいあわせ)》を出して独立を宣言,以後は撰集《新続犬筑波(いぬつくば)集》(1660),俳論書《埋木(うもれぎ)》(1673),句合書《六百番誹諧発句合(ほつくあわせ)》(1677)等を続々と著し,俳壇に不動の地位を築いた。…

※「季吟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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