出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…江戸時代に盛行した庶民的な絵画。江戸を中心に発達し,江戸絵ともいう。絵画様式の源流は遠く大和絵につながり,直接的には近世初期風俗画を母胎としている。町人の絵画として,武家の支持した漢画系の狩野派とは対立するが,様式の創造的な展開のために,その狩野派をはじめ土佐派,洋画派,写生画派など他派の絵画傾向を積極的に吸収消化し,総合していった。安価で良質な絵画を広く大衆の手に届けるために,表現形式としては木版画を主としたが,同時に肉筆画も制作し,肉筆画専門の浮世絵師もいた。…
…江戸後期の浮世絵師。姓は安藤氏,幼名徳太郎,のち重右衛門。江戸八代洲(やよす)河岸の定火消同心の子として生まれ,13歳のとき両親を失い,家職を継いだ。生来絵が上手であったが,1811年(文化8)歌川豊広に入門,翌年より歌川広重と名のり,18年(文政1)ころ画壇へも登場。英泉風を採り入れた美人画や役者絵など意欲的に取り組んでいる。さらに23年には鉄蔵と改名,家督を嫡子に渡し,画家として立つ決意を固め,絵本類や風景画をも手がけるようになる。…
…東海道の53の宿場を描いた絵画。浮世絵作品としては1690年(元禄3)の菱川師宣《東海道分間之図》が最も古い。これを一宿一図として描いたのは葛飾北斎が始めで,1804年(文化1)版の《東海道》以下4作品がある。しかしそれらは道中風俗図で人物本位となっており,風景版画として本格的にこれに取り組んだのは歌川(安藤)広重である。彼の作品中いちばん初めに制作された1833‐34年(天保4‐5)の《東海道五拾三次之内》が最も有名かつ優秀な作品といえる。…
※「安藤広重」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新