日本歴史地名大系 「定浚屋敷」の解説 定浚屋敷じようざらいやしき 東京都:江東区旧深川区地区定浚屋敷[現在地名]江東区越中島(えつちゆうじま)一丁目大島(おおしま)川南岸に位置する片側町。深川定浚(ふかがわじようざらい)屋敷・深川割下水定浚(ふかがわわりげすいじようざらい)屋敷などとも称した。西は越中島拝借地、東は曲淵日向守下屋敷、南は定浚敷屋敷続上納地と往来を隔て戸田備後守下屋敷。天明元年(一七八一)三俣富永(みつまたとみなが)町(現中央区)の町人中川屋長兵衛が、自分入用で本所割下水五ヵ所の定浚いをすることを条件に、越中島町角屋彦三郎拝借地のうち一千五〇〇坪を助成地として拝借したい旨を幕府に願出る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by