対抗宗教改革(読み)たいこうしゅうきょうかいかく

改訂新版 世界大百科事典 「対抗宗教改革」の意味・わかりやすい解説

対抗宗教改革 (たいこうしゅうきょうかいかく)

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「対抗宗教改革」の解説

対抗宗教改革(たいこうしゅうきょうかいかく)

反宗教改革

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「対抗宗教改革」の意味・わかりやすい解説

対抗宗教改革
たいこうしゅうきょうかいかく

反宗教改革」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の対抗宗教改革の言及

【グレコ】より

…1566‐67年ころにベネチアに渡り,70年にはローマへ,そして76‐77年にスペインに移ってトレドに定住,ここで生涯を終えた。最近の相次ぐ新資料の発見や研究によって,イタリア時代のグレコが,ティツィアーノ,ティントレット,バッサーノ,コレッジョ,ミケランジェロなどの作品から多くを学んで芸術形成をとげたのはもちろん,マニエリスム芸術論と新プラトン主義に通じたウマニスト(人文主義者)として形成されたこと,そして,スペイン・カトリックの大本山があるトレド定住後は,教会の有力者であると同時に当時最高の知識人であった人たちをパトロンに得て,トリエント公会議(1545‐63)後の,プロテスタンティズムに対するカトリシズムによる対抗宗教改革のもっとも代表的な画家となったことが明らかになりつつある。グレコの色調と技法は,終生ベネチア派とイタリア・マニエリスムにとどまったといえる。…

【反宗教改革】より

…〈反宗教改革〉あるいは〈対抗宗教改革〉という表現は1776年にゲッティンゲン大学の法制史家ピュッターJ.S.Pütterが,プロテスタント化された領地に対するカトリック領邦君主の実力による再カトリック化の試み,という意味で初めて用いた。その際ピュッターは反宗教改革を個々のできごととして理解して複数形(Gegenreformationen)で表現していたのに対し,歴史家のランケは,1803年の《改革時代のドイツ史》で単数形(Gegenreformation)で用い,それ以来反宗教改革はしだいにひとつの時代概念となった。…

※「対抗宗教改革」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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