小倉新田藩(読み)こくらしんでんはん

世界大百科事典(旧版)内の小倉新田藩の言及

【福岡[県]】より


[沿革]
 県域はかつての筑前・筑後両国全域,および豊前国の北半部にあたる。江戸時代末期,筑前には福岡藩と支藩の秋月藩,筑後には久留米藩柳河藩,豊前には小倉藩(1866年長州征伐の際,藩庁を移し香春(かわら)藩,69年豊津藩と改称)と支藩の小倉新田藩(1869年千束(ちづか)藩と改称)が置かれ,そのほか飛地,天領,預地もあった。1868年(明治1)下手渡(しもてど)藩が陸奥より筑後に移されて三池藩となり,翌69年には1867年(慶応3)以来長州藩の支配下にあった旧小倉藩領の豊前国企救(きく)郡と旧天領が日田県の,預地は長崎県の管轄となった。…

※「小倉新田藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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