千束藩(読み)ちづかはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「千束藩」の意味・わかりやすい解説

千束藩
ちづかはん

豊前(ぶぜん)国(福岡県)上毛(こうげ)郡内新田1万石を領有した藩。譜代(ふだい)。1671年(寛文11)小笠原真方(おがさわらさねかた)が、兄である小倉(こくら)藩主忠雄(ただお)から分与され、小倉城下(福岡県北九州市)に居所を営み、小倉新田藩として立藩。真方ののち、貞通(さだみち)、貞顕(さだあき)、貞温(さだあつ)、貞哲(さだとし)、貞謙(さだよし)、貞嘉(さだひろ)(のち小倉藩主忠嘉(ただひろ))、貞寧(つねやす)、貞正(つねまさ)と9代200年間にわたり在封。1869年(明治2)居所を上毛郡千束(豊前市)に移したので千束藩と改称。71年、廃藩置県後、千束県、小倉県を経て、福岡県に編入

[豊田寛三]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android