峰岡藩(読み)みねおかはん

世界大百科事典(旧版)内の峰岡藩の言及

【牧野氏】より

…忠成は,34年(寛永11)次男武成(のち康成)に1万石,四男定成に6000石を分知する。康成の子孫は与板から小諸に移され,定成の子孫は1863年(文久3)1万1000石高となり,三根山藩(のち峰岡藩と改称)を称した。4代康成の三男儀成(のりなり)も別家して5000石の旗本となるが,儀成の次男成貞はわずか500石の奏者役から5代将軍綱吉の側用人(そばようにん)として7万3000石関宿城主まで立身し,子孫は笠間藩8万石を領した。…

※「峰岡藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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