日本大百科全書(ニッポニカ) 「三根山藩」の意味・わかりやすい解説
三根山藩
みねやまはん
越後(えちご)国蒲原(かんばら)郡三根山(新潟市西蒲(にしかん)区峰岡(みねおか))周辺を領有した藩。1634年(寛永11)長岡藩主牧野忠成(まきのただなり)が四男定成(さだなり)に6000石(ほかに込高(こみだか)5000石)を分与して成立した。領主は、定成以下忠清(ただきよ)、忠貴(ただたか)、忠列(ただつら)、忠知(ただとも)、忠義(ただよし)、忠救(ただひら)、忠衛(ただもり)、忠直(ただなお)、忠興(ただおき)、忠泰(ただひろ)と11代続いた。1863年(文久3)2月、11代忠泰のとき幕府より込高をあわせて1万1000石の表高が認められ、初めて大名(定府(じょうふ))となった。それまでは旗本であった。戊辰(ぼしん)戦争では、譜代(ふだい)長岡藩の支藩として一時奥羽越列藩同盟軍に加担したが、幕府軍の敗北をみて、新政府軍につき領民を戦火から守った。1870年(明治3)峰岡藩と改称、翌71年廃藩置県となり、峰岡県を経て同年11月新潟県に編入された。
[中村義隆]
『武田広昭編『三根山藩』(1973・巻町)』