朝日日本歴史人物事典 「後鳥羽院宮内卿」の解説
後鳥羽院宮内卿
鎌倉時代の歌人。父は源師光(生蓮)。母は絵師巨勢宗茂(巨勢金岡の裔)の娘(孫とも)の後白河院女房安芸。源具親の妹。後鳥羽院の女房として出仕し,正治2(1200)年の『院第二度百首』や『千五百番歌合』など,後鳥羽院歌壇の多くの歌合に参加した。元久1(1204)年11月10日の『春日社歌合』以後の歌合に名前がみえないので,こののちほどなく若くして没したか。建仁3(1203)年藤原俊成九十の賀の袈裟に刺繍する歌の作者を命ぜられるなど,俊成の娘と並び称される当代きっての女性歌人であった。苦吟型の歌人で,時には苦吟のあまり病に倒れることもあったという(『無名抄』)。母が絵師の血筋を引くせいか,絵画的構図を有する歌を詠む傾向がある。色彩感覚も豊かで,理知的な作風。<参考文献>石田吉貞「宮内卿没年考」(『新古今世界と中世文学』下)
(谷知子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報