恭仁宮(読み)くにのみや

世界大百科事典(旧版)内の恭仁宮の言及

【恭仁京】より

…大極殿と歩廊が平城宮から移設されたが,その大極殿は,のち746年(天平18)9月に山城国の国分寺に施入された。今日,加茂町例幣に東西60m余,南北30m余の国分寺金堂土壇が残るが,これが恭仁宮大極殿土壇でもあったことは,1976‐77年の発掘調査で確認されている。その大極殿土壇を中心とする推定2条2坊分(1060m平方)の恭仁宮域は,左京9条4坊の北端中央にあたる。…

※「恭仁宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む