奈良時代中ごろの都城。現在の京都府南部の木津川市に営まれた。740年(天平12),九州で藤原広嗣の乱が起こったのを契機に平城京を離れた聖武天皇は,伊勢,美濃,近江をめぐった後,12月15日山背国南端の久仁郷の地に至り恭仁京の造営に着手した。翌年11月21日の勅によって宣された正式名称は大養徳恭仁大宮(やまとのくにのおおみや)。造営開始から丸3年を経た743年末には,並行して紫香楽宮(しがらきのみや)が造りはじめられたことなどのために費用がかさんで造作が停止され,翌年2月20日,紫香楽へではなしに難波(なにわ)への遷都が行われて廃都になった。短命な都ではあったが南北9条,東西8坊のプランで建設が進められたと推定される。ただし,広い平地に恵まれないところであるため,賀世(かせ)山,すなわち今日の鹿背(かせ)山丘陵を挟んで,左京4坊は木津川市の旧加茂町の盆地に,右京4坊は同市の旧山城町と旧木津町の平地に,東西に少し離れた形で営まれたとみられる。大極殿と歩廊が平城宮から移設されたが,その大極殿は,のち746年(天平18)9月に山城国の国分寺に施入された。今日,旧加茂町例幣に東西60m余,南北30m余の国分寺金堂土壇が残るが,これが恭仁宮大極殿土壇でもあったことは,1976-77年の発掘調査で確認されている。その大極殿土壇を中心とする推定2条2坊分(1060m平方)の恭仁宮域は,左京9条4坊の北端中央にあたる。一方,右京9条4坊は,奈良盆地中ッ道の北延長線上にあたる,今日の木津市街を貫く古道〈作り道〉を中心軸として営まれたと推定される。作り道が泉川(木津川)を渡る位置には,行基によって泉橋が建設され,またその北橋畔には泉橋寺が営まれた。東西市も平城京から移設され,また宅地の班給も行われていた。恭仁京への遷都の理由としては,広嗣に呼応する可能性がある藤原氏勢力の地盤を離れるため,橘諸兄の本拠地への誘致を受け入れたとみる考えが有力である。水路としての木津川に直接臨む地理的位置の有利さも考慮されたと思われる。
執筆者:足利 健亮
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奈良時代の都京。山城(やましろ)国相楽(そうらく)郡恭仁郷(京都府木津川(きづがわ)市加茂町例幣(かもちょうれいへい))にあり、大養徳(やまと)恭仁大宮ともよぶ。740年(天平12)藤原広嗣(ひろつぐ)の乱が起こると、聖武(しょうむ)天皇は突如東国へ出幸し、乱鎮定後も平城(へいじょう)に帰らず、恭仁京の造営を始め遷都、平城宮の大極殿(だいごくでん)、回廊を移建した。発議者は右大臣橘諸兄(たちばなのもろえ)とみられる。近江(おうみ)国甲賀郡に紫香楽宮(しがらきのみや)をつくると、743年恭仁造作を停止したが、翌年難波(なにわ)遷都を企て、恭仁宮の内印、駅鈴を移して皇都としたものの、天皇は難波から紫香楽へ幸し、745年ふたたび平城へ還都した。翌年恭仁宮の大極殿は山背国分寺(やましろこくぶんじ)に施入となった。鹿背山(かぜやま)の西道を基準に左京と右京が離れて設定され、宮は左京の中央北端に位置するらしい。1976年(昭和51)以後の発掘調査で大極殿基壇が確認された。
[八木 充]
『八木充著『古代日本の都』(講談社現代新書)』
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奈良時代,聖武天皇によって営まれた都城。山背国相楽郡(現,京都府木津川市加茂町)に所在。京域の復原も行われている。奈良初期から甕原(みかのはら)宮が設けられるなど,木津川に面した景勝地でもあった。740年(天平12)12月,聖武天皇が移って都城としての一応の体制が整った。翌年には鹿背(かせ)山(賀世山)の東西をそれぞれ左右京として官人に宅地を与え,大養徳恭仁大宮(やまとのくにのおおみや)の名が定まったが,744年には難波京への遷都が行われた。
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…ただし左京の東に4条(または5条)×3坊分のいわゆる外京と,右京の北に半条分の北辺が付属し,各坊も藤原京の4倍,つまり16の町に区分されている。恭仁(くに)京も賀世山の西の道から東を左京,西を右京とし,宅地の班給も行われたが,都城の構造はまだ推定の域を出ていない。さらに長岡京と平安京は基本的には平城京を踏襲したもので,長岡京はなお不確定の部分があるが,外京はなく,北辺と同じように,左右京とも北に半条分拡大され,宮域も拡張された。…
※「恭仁京」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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