改訂新版 世界大百科事典 「文明太后」の意味・わかりやすい解説
文明太后 (ぶんめいたいこう)
Wén míng tài hòu
→胡太后
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
→胡太后
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…馮跋のあとを襲った弟,馮文通のとき北魏に征服され,馮文通は高句麗に亡命したが殺された。馮氏は北族の風俗に染まっていたといわれ,北魏孝文帝時代に摂政として活躍した文明太后は馮文通の孫に当たる。【谷川 道雄】。…
…三長制,均田制,租庸調,俸禄制など,すべて太后の功績である。死後文明太后と諡(おくりな)された。【谷川 道雄】。…
※「文明太后」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...