→谷文晁
…このころから精力的に旅をし,多くの文人墨客と交わって知己を得る。木村兼葭堂を知るのもこのころであり,やがて田能村竹田が文晁の門をたたき,亀田鵬斎や酒井抱一,市河米庵,菅茶山,立原翠軒,大田南畝(蜀山人)といった人たちとの交流がみられる。文晁は多作家ではあったが,なかでも寛政期(1789‐1801)には特に南宗,北宗(南宗画,北宗画)の両画風を合わせた静謐な作風が目をひき,一般に〈寛政文晁〉と呼ばれて,画業の中の一時代を画している。…
※「文晁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
政府首脳が外国を訪問した際の会談内容や合意事項を記した外交文書。法的拘束力は持たないが,その内容は両国を事実上拘束する。類似のものに共同発表 joint statementがあるが,これはより記録的な...
7/28 化学辞典 第2版(森北出版)を更新
6/26 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/17 デジタル大辞泉プラスを更新
4/17 デジタル大辞泉を更新
2/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新