日本大百科全書(ニッポニカ) 「日蘭会商」の意味・わかりやすい解説
日蘭会商
にちらんかいしょう
日本とオランダ領東インド(蘭印、現インドネシア)との経済関係をめぐる交渉。
[岡部牧夫]
第一次
日本商品、とくに綿製品の進出に苦慮した蘭印当局側の要請で、1934年(昭和9)6月バタビア(現ジャカルタ)で開始された。初めは業者間の交渉であったが実を結ばず、政府間交渉に移された。しかし、これも難航し、数度の決裂を重ねたすえ、ようやく37年4月になって日蘭通商協定(石沢‐ハルト協定)が成立した。またこれと並行して海運関係の会商も行われた。
[岡部牧夫]
第二次
ドイツのオランダ本国占領後の1940年5月、日本はアメリカの対日輸出制限を打開するため東インドの軍需資源に目をつけ、蘭印政府に会商を申し入れた。同年8月、商工相小林一三(いちぞう)をバタビアに派遣、のち元外相芳沢謙吉(よしざわけんきち)が後任使節となって交渉が続けられたが、日本の要求が過大でまとまらず、41年6月に打ち切られた。太平洋戦争の開始で翌年日本は東インド全域を占領した。
[岡部牧夫]