朝日日本歴史人物事典 「服部宗重」の解説
服部宗重
生年:天文18(1549)
江戸初期の薩摩(鹿児島)藩煙草奉行。名産国分煙草の祖とされる。通称左近衛門。伊賀国(三重県)生まれ。父は兵部少輔宗宜。天正14(1586)年太守島津義久に召し抱えられ,慶長10(1605)年には義久の隼人城(国分市)への移転に近習として供奉,国分郷向花字梅木に居を定めた。武芸に加えて吹笛,謡舞も達者なことから寵遇されたのであろう。義久ともども愛煙家であった宗重は,付近で作る煙草の香りがよいのは土質が適しているためと考え,同11年,近在の山内四郎左衛門と協力して梅木の地1段歩に煙草を試作し成功。当時,藩主島津家久は喫煙を禁じていたが,隠居中の実力者義久は近隣の地5町歩を与えてその功を賞し,煙草奉行に任じた。後年禁令がゆるむと,宗重は煙草作奨励に努めた。<参考文献>日本専売公社鹿児島地方局編『管内在来種の来歴と変遷』,「服部家文書」(国分市郷土館蔵)
(原口泉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報