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木内惣五郎 キウチソウゴロウ

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デジタル大辞泉の解説

きうち‐そうごろう〔‐ソウゴラウ〕【木内惣五郎】

佐倉惣五郎(さくらそうごろう)

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

木内惣五郎 きうち-そうごろう

佐倉惣五郎(さくら-そうごろう)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
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朝日日本歴史人物事典の解説

木内惣五郎

生年:生没年不詳
近世の代表的な義民。佐倉惣五郎(宗五郎)と通称される。下総国(千葉県)佐倉藩領公津村の名主。承応年間(1652~55。異説が多くあり,それより前の正保年間とするものもある)藩主堀田氏の苛政に対して,領民の先頭に立って江戸藩邸への門訴,老中駕籠訴などの訴願を行うが容れられず,上野の寛永寺に参詣途中の将軍に直訴した。要求は認められたが,妻と共に磔,子供は死罪に処された。惣五郎とその妻の怨霊は藩主夫妻に祟り,夫人を呪い殺し,藩を改易に追い込んだとされる。しかし堀田氏時代の公津村に,惣五郎という百姓が存在したことは当時の名寄帳で確認できるが,これらの事蹟を証明する史料はない。「地蔵堂通夜物語」「堀田騒動記」などの題で残されている惣五郎物語は,18世紀後半に地元に残る伝承を参考にしながら創作されたものである。この物語が広範に流布するに至った要因のひとつは,延享3(1746)年に山形から佐倉に入封した同族の堀田氏が,惣五郎の怨霊を祭ったことに求められる。さらに嘉永4(1851)年,江戸中村座が「東山桜荘子」(3代瀬川如皐作)と題する惣五郎物語を上演し好評を得た。このとき将軍直訴を決意した惣五郎が,妻子に会うために故郷に戻る途中で渡守甚兵衛の義侠に助けられ,幼い子供と最後の別れをする子別れの場面が挿入され,現在に伝えられる物語が完成した。その後幕末から明治にかけて「花雲佐倉曙」「桜荘子後日文談」「佐倉義民伝」などの外題で上演が繰り返され,また出版物も相次いだため,物語は佐倉地方にとどまらず,広く全国に普及することになった。明治2(1869)年上野国(群馬県)高崎藩5万石騒動の惣代たちは,蜂起に先立ち宗吾霊堂に詣でるなど,明治初年一揆の頭取たちに影響を与え,また自由民権期には民権家の嚆矢として位置付けられた。なお近世期に惣五郎を祭った口ノ明神は,明治以降衰退するが,惣五郎の墓所とされる成田市東勝寺は宗吾霊堂として現在も多くの人々に信仰されている。

(保坂智)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

きうちそうごろう【木内惣五郎】

出典|三省堂
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