出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…京都防衛上の要衝宇治川でいくたびか行われた戦い。なかでも1184年(元暦1)正月20日,木曾義仲,源義経両軍の間にかわされた戦闘がもっとも有名である。前年7月に入京した義仲は,11月クーデタを断行,後白河法皇に迫って源頼朝追討の院宣を出させたうえ,元暦1年正月10日には征夷大将軍に任ぜられた(一説に11日,征東大将軍)。…
…渋川版の一つ。鎌倉御所の唐糸(木曾義仲の臣手塚太郎光盛の娘)は,義仲に頼まれ源頼朝の命をねらううち,見破られて捕らえられ,松ヶ岡の尼寺に預けられる。尼公の計らいで信濃国へ逃れるが,武蔵国六所で梶原景時に捕らえられ,石牢に入れられる。…
…無名庵ともいう。1184年(元暦1)この地で戦死した木曾義仲の菩提を弔って,巴御前が草庵を作ったのにはじまるとされる。1553年(天文22)佐々木高頼が諸堂を建立し,寺観を整えた。…
…〈砺波山(となみやま)の戦〉ともいう。1183年(寿永2)5月,越中・加賀国境の砺波山俱利伽羅峠で,木曾義仲が平維盛の軍を破った戦闘。80年(治承4)9月信濃に挙兵した義仲は,信濃,越後を制圧,81年中には越前以東の北陸道の武士を多く指揮下に置いた。…
…鎌倉にいた長子義高も4月26日に討たれている。【飯田 悠紀子】
[人物像と伝承]
〈木曾義仲〉の名で広く知られる義仲の人物像は,都の公家と対比される武士像の一典型として,《平家物語》や《源平盛衰記》などに,鮮やかに伝えられている。信濃から北陸道を経て京都に進撃する義仲は,めざましい武勲の人として描かれる。…
※「木曾義仲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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