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桑楊庵光

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美術人名辞典の解説

桑楊庵光

つむり、又二世巴人亭と号す。通称岸宇右ヱ門、名は誠之、画を一筆斎文調に学び文笑と号す。狂歌四天王の一にして伯梁側の宗梁たり。後桑楊庵の号を浅草千則に、巴人亭の号を浅草庵市人に譲る。寛政8年(1796)歿。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

桑楊庵光 そうようあん-ひかる

頭光(つむりの-ひかる)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

桑楊庵光

没年:寛政8.4.12(1796.5.18)
生年:宝暦4(1754)
江戸時代の狂歌作者。本名は岸識之,通称は宇右衛門。頭光の狂名でも知られる。これは若禿にちなむのであろう。江戸日本橋亀井町に生まれ,長じて家主となり,亀井町の町代を勤めた。若くして一筆斉文調に絵を学び,文笑と号した。天明初年の狂歌流行とともに四方赤良(大田南畝)門下となり,宿屋飯盛(石川雅望)らと伯楽連を結成した。豊かな教養と「花の山色紙短冊酒さかな入相のかねにしめて何程」のような清新軽快な詠み口を身上とし,飯盛,鹿都部真顔,銭屋金埒と共に狂歌四天王に数えられた。寛政3(1791)年に飯盛が江戸を追放されてのちは伯楽連を率い,赤良から譲られた巴人亭の号を用いて重きをなし,多くの狂歌本を出したが,惜しくも早世した。

(園田豊)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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