…僧兵の横暴の反面,貴族化もすすみ,藤原師輔の息尋禅が良源の弟子となり,20世座主になってから,貴族・皇族の入寺がつづき,座主に貴族出身者が多くなって,やがて門跡(もんぜき)が成立する。まず梨本円融房(のちの梶井門跡),ついで青蓮(しようれん)院,やや遅れて妙法院,曼殊院などの門跡が成立した。鎌倉時代以降,これらの門跡寺院はおもに法親王が相承し,延暦寺一山の管理も門跡単位で行われるようになった。…
…青蓮院,妙法院とともに天台宗三門跡の一つ。もと円徳院,円融院,梶井門跡(かじいもんぜき),梨本坊(なしもとぼう)ともいい,三千院の呼称は1871年(明治4)以後である。本尊阿弥陀如来。…
※「梶井門跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」