東に
〈京都・山城寺院神社大事典〉
寺伝は、延暦七年(七八八)最澄が叡山東塔
大治五年(一一三〇)に堀河天皇の子最雲法親王が入室して一四世(一説に一三世)門主となり、大原(魚山)、梨本・梶井両門流、円融房を「加預」され(天台座主記)、以後一八世承仁法親王(第六三世天台座主)、二〇世尊快法親王、二一世尊覚法親王(第八一世天台座主)、二二世最仁法親王(第八三世天台座主)など代々法親王の入室する門跡房となった。平安時代末期の成立と推定される「叡岳要記」には、東塔の堂宇のなかに「円融房」「円徳院」の名がみえ、この時期梨本門流の「円融房」、梶井門流の「円徳院」の山上房舎が叡山東塔に存在したことが知られる。寿永二年(一一八三)七月の後白河法皇叡山落の際には、円融房が法皇の御所となったことが「平家物語」等に記されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市左京区大原来迎院(らいごういん)町にある天台宗の寺。山号は魚山(ぎょさん)。本尊は薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)。もと円融院(えんゆういん)(円融房)または円徳院といった。梨本房(なしもとぼう)、梶井門跡(かじいもんぜき)とも称し、妙法院(みょうほういん)、青蓮院(しょうれんいん)、毘沙門堂(びしゃもんどう)、曼殊院(まんしゅいん)とともに天台宗五門跡の一つ。788年(延暦7)伝教大師最澄が比叡山(ひえいざん)根本中堂を創建したとき、東塔南谷の梨(なし)の大木の下に仮堂をつくったのが始まりと伝える。860年(貞観2)承雲(じょううん)が堂塔を整備して梨本門流の一寺となる。1086年(応徳3)には山麓(さんろく)の東坂本梶井里(かじいのさと)(現大津市)に御願寺(ごがんじ)円徳院が設けられて、東塔の本坊円融坊に対する里坊(さとぼう)とされた。堀河(ほりかわ)天皇の第2皇子最雲(さいうん)法親王が皇族入寺の初めで、1130年(大治5)第14世となり梶井の宮と称した。その後、承任(じょうにん)(18世)、尊快(そんかい)(20世)、尊覚(そんかく)(21世)、最仁(さいにん)(22世)らの法親王の入寺が続き、門跡寺院となった。1156年(保元1)大原寺(だいげんじ)(大原の来迎院、勝林院などの総称)を管轄することになり、魚山(ぎょさん)の声明(しょうみょう)を統管し、現在の地大原に政所(まんどころ)を設置した。鎌倉時代、里坊は東坂本から京都に移され転々としたが、応仁(おうにん)の乱で船岡山(ふなおかやま)にあった堂舎が焼失したのち、大原に移った。徳川綱吉(つなよし)は寺領1064石を寄せ、現在の上京(かみぎょう)区梶井に里坊をつくった。明治維新後、大原政所が本殿と定められ、寺号も三千院となった。
本堂の往生極楽院(おうじょうごくらくいん)(国重要文化財)は1148年(久安4)真如房(しんにょぼう)尼(藤原実衡(さねひら)の妻)の建立した常行三昧(さんまい)堂で、堂内に安置する阿弥陀(あみだ)三尊(国重要文化財)、脇侍(わきじ)の観音(かんのん)・勢至菩薩(せいしぼさつ)の跪坐(きざ)する姿は来迎のようすを表したものとして著名である。ほかに不動明王像、救世(ぐぜ)観音半跏(はんか)像、慈覚大師伝、四天王縁起(えんぎ)残巻、古文孝経、性空上人(しょうくうしょうにん)伝記遺続集、帝王系図(以上国重要文化財)などを蔵する。境内には聚碧(しゅうへき)園と有清(ゆうせい)園の二つの名園がある。
[田村晃祐 2017年4月18日]
『『古寺巡礼 京都17 三千院』(1977・淡交社)』▽『三山進著『三千院』(1970・中央公論美術出版)』
京都市左京区大原にある天台宗の寺。青蓮院,妙法院とともに天台宗三門跡の一つ。もと円徳院,円融院,梶井門跡(かじいもんぜき),梨本坊(なしもとぼう)ともいい,三千院の呼称は1871年(明治4)以後である。本尊阿弥陀如来。寺伝では,788年(延暦7)最澄が叡山東塔に建てた一堂が起源という。寺地は山上,近江坂本,洛北船岡山などを転々して,応仁の乱後に現在地に移った。平安後期から幕末まで歴代門跡は皇族がなり,天台の声明音律のことを管轄し(声明),また比叡山上の根本中堂,法華堂,常行堂を管領した。近世の寺領は1060石余。現寺地は東に小野山を負い,声明にちなんで名付けられた呂(ろ)川と律(りつ)川を左右にひかえ,聚碧(じゆへき)園と有清(ゆうせい)園の二つの名庭を擁し,桜や紅葉や苔が美しく,洛北の名勝として名高い。本堂の往生極楽院(重要文化財)は,高松中納言実衡の妻真如房尼が,1148年(久安4)ころ夫の菩提を弔うために建立した常行三昧堂で,桁行4間・梁間3間,単層,入母屋造,柿葺き(こけらぶき)で,内部は藤原時代の阿弥陀堂建築になっている。堂内の本尊阿弥陀如来座像は丈六の巨像で,上品下生の印相,右脇侍の観音は蓮台をもち,左の勢至は合掌し,ともに膝を屈して阿弥陀来迎の姿を現している。三尊ともに1148年の造立と推定され,重要文化財。上下2段からなる庭園のうち,上の有清園は池泉回遊式,下の聚碧園は池泉観賞式で,いずれも池泉,石組み,刈込みを配した江戸初期の閑雅な庭園である。なお聚碧園の前の客殿の襖絵は,今尾景年,菊池芳文,鈴木松年,竹内栖鳳ら近代画家の筆になる。
執筆者:藤井 学
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新