朝日日本歴史人物事典 「森次左衛門」の解説
森次左衛門
生年:明和5(1768)
名は武七とも。天保7(1836)年の甲州郡内騒動の首謀者のひとり。甲斐国都留郡下和田村(山梨県大月市七保町)生まれ。当時すでに70歳であったが,天保4年以来の凶作で飢餓に苦しんでいた地域農民を救済しようと,犬目宿の水越兵助と,有徳人からの米借りを計画。天保7年8月20日各村からの参加者を結集し,甲府盆地方面に向かったが,大規模な打ちこわしの発生となり失敗。一時山中に逃れたものの自首し,石和代官所で牢死した。男伊達の口利として,日ごろから近郷にも知られたという。<参考文献>深谷克己『八右衛門・兵助・伴助』
(増田廣實)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報