毛利秀包(読み)もうり ひでかね

世界大百科事典(旧版)内の毛利秀包の言及

【久留米[市]】より

…【土井 仙吉】
[久留米城下]
 戦国時代末期,高良山座主良寛の弟,丹波麟圭の居城があり,そのまわりに小城下町ができていた。1587年(天正15)久留米城主となった毛利秀包(ひでかね)が城郭を修築し,城下町を整備した。この時に久留米の原型がつくられたといってよい。…

【久留米藩】より

…21万石。1587年(天正15)豊臣秀吉の九州征伐ののち,毛利氏の一族毛利秀包(ひでかね)が配置されたことに始まる。石高は7万5000石。…

※「毛利秀包」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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