山川 世界史小辞典 改訂新版 「永暦帝」の解説
永暦帝(えいれきてい)
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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「永明王朱由榔」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…在位1647‐62年。桂王また永暦帝とも称する。姓名は朱由榔(しゆゆうろう)。…
…これよりさき肇慶(ちようけい)(広東省)では桂王(永明王。福王の従弟)が瞿式耜(くしきし),丁魁楚らに擁立され(1646)永暦帝を称したが,まもなく桂林(広西省)に退いた。このあと桂王は各地を転々としながらも,李自成の残軍の李錦,のちには張献忠の残軍の李定国,孫可望らに頼って中国西南部で抗戦を続けた。…
※「永暦帝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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