永明王朱由榔(読み)えいめいおうしゅゆろう(その他表記)Yongming-wang Zhu You-lang; Yung-ming-wang Chu Yu-lang

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「永明王朱由榔」の意味・わかりやすい解説

永明王朱由榔
えいめいおうしゅゆろう
Yongming-wang Zhu You-lang; Yung-ming-wang Chu Yu-lang

[生]天啓3(1623)
[没]康煕1(1662).雲南
中国,清初に明の遺臣により擁立された明の王。桂王,また永暦帝と称する。万暦帝の孫で,桂端王常瀛の子。崇禎中に永明王に封じられた。福王,唐王が清に捕えられると,順治3 (1646) 年に広東省肇慶で両広総督丁魁楚,広西巡撫瞿式耜らに監国に擁立され,永暦と改元した。清の攻撃により広西省梧州,桂林,湖南省武岡などに転じ,同7年に瞿式耜も没した。同9年に雲南,貴州を支配した孫可望に迎えられ,一時は勢力を回復したものの,可望と李定国の内紛や可望の独立の動きから,同 13年定国に奉じられて雲南に走った。可望は清にくだって定国を攻撃したので,由榔は同 16年ビルマに逃れ,ビルマ王に迎えられ阿瓦 (アバ) に入った。清軍の進攻を受けたビルマ王は同 18年に由榔を捕え清の呉三桂に引渡し,三桂の手で殺された。

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