出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国、南明(なんみん)の遺王。姓名は朱由榔(ゆうろう)。万暦帝の孫。父は桂王朱常瀛(じょうえい)。1643年、張献忠軍の攻撃に際し、父とともに湖南の衡(こう)州から広西に逃れ、父の死後、桂王を継いだ。南京(ナンキン)の福王朱由崧(ゆうしょう)、福州の唐王朱聿鍵(いっけん)など明の諸王による抗清(しん)政権が、清軍によって次々に滅ぼされたのち、両広総督丁魁楚(ていかいそ)、広西巡撫(じゅんぶ)瞿式耜(くしょくし)らに擁立されて、46年末に広西の肇慶(ちょうけい)で即位し、最後の南明皇帝となった。年号は永暦(1647~62)。広西の梧州(ごしゅう)、平楽、潯(じん)州、桂林(けいりん)、柳州や湖南の武岡(ぶこう)など各地を転々としつつ、桂林の瞿式耜軍を中心に清軍に対抗したが、50年桂林陥落後、貴州、雲南に逃れ、さらに59年ビルマ(現ミャンマー)に入った。62年ビルマ王によって清軍に引き渡され、雲南で絞首された。
[岸本美緒]
1625~62(在位1647~62)
明の遺王。姓名は朱由榔(しゅゆうろう)。桂王,永暦帝とも称する。万暦(ばんれき)帝の孫で,明の滅亡後1647年,広東省肇慶(ちょうけい)で即位。一時は華南に大きな勢力を持ったが,清軍に追われて雲南からビルマに逃げ,呉三桂(ごさんけい)に捕えられた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…中国,明朝滅亡ののち,その遺王たちは江南各地で清朝に対抗したが,彼らが建てた政権を南明と総称する。三藩(福王朱由崧,唐王朱聿鍵(いつけん),永明王朱由榔),四藩(三藩に魯王朱以海を加える)と呼ばれることもある。李自成が北京を陥れ,崇禎帝が自殺して明朝が滅ぶと,明朝復興運動が相次いで起こった。…
※「永明王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
[1973~ ]プロ野球選手。愛知の生まれ。本名、鈴木一朗。平成3年(1991)オリックスに入団。平成6年(1994)、当時のプロ野球新記録となる1シーズン210安打を放ち首位打者となる。平成13年(...
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