河副本庄(読み)かわそえのほんしよう

日本歴史地名大系 「河副本庄」の解説

河副本庄
かわそえのほんしよう

河副北庄ともいう。最勝さいしよう(現京都市、廃寺)荘園で、「長秋記」によると大治五年(一一三〇)には年額二千石の米を貢納することになっていた。その後の南部干潟の耕地化によって土地が拡大し、正応五年(一二九二)の「惣田数注文」(河上神社文書)には「河副庄 一千六十七丁一反」と記され広大な荘園となる。

これより早い弘安三年(一二八〇)の高城寺文書に「河副本庄」、また建武元年(一三三四)の同文書に「河副南北庄」の名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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